ツギハギ歩き旅日記・番外編1~しまなみ海道ウルトラウォーキング④

歩き旅・番外編

ツギハギ歩き旅・番外編1

~しまなみ海道ウルトラウォーキング④~

 

通りは左右に緩やかなカーブを描いていた。生(い)口(くち)橋(ばし)が近づいてきている。歩くペースに変化はなかったが、体調には微妙な変化が訪れていた。エイドを出てからしばらくの後、胃に少しばかり不快感を覚えるようになっていた。暑さや疲労もあったであろうが、そのような状態を招いた主たる原因は考えるまでもなかった。ガリガリ君でも買うたらええよ―優しい悪魔の囁(ささや)きが脳裏(のうり)に蘇(よみがえ)る。これまでの歩き旅の道中でも同じような経験を何度かしていた。何度か経験しているということは、ワシが学習をしないアホであると思われるであろう。しかし何度か、ということは毎回ではなかった、ということでもある。つまり、何の問題も起きない可能性も相応にあったのである。渇望(かつぼう)の軍門(ぐんもん)に下(くだ)ることも止むなし、と判断していけない道理はないであろう。ガリガリ君がワシの体調に微笑みかけるか否か、ワシはその丁半(ちょうはん)博打(ばくち)に敗北しただけである。勝負は時の運、後悔はないことにする。しきりに後ろを振り返ろうとする気持ちを押しとどめ、前方の橋を見つめて歩を進めるワシであった。

オーシャンビューは好きであるが、高い所は苦手である。肛門がキュッと締まるような感覚と共に生(い)口(くち)橋(ばし)を渡り、ワシは第二のエイド、瀬戸田(せとだ)サンセットビーチを目指して歩いていた。少し前まで悩まされていた胃の不快感は解消されつつあった。海辺の県道、車の通りはあるが、人通りはない。通りに点在する民家、商店、事業所、外観からはそこに人の息遣いを感じ取ることはできる。しかし、具体的な人の姿は見えてこない。そろそろ日が傾き始める頃となる。通りには昼(ちゅう)白色(はくしょく)の倦怠感(けんたいかん)が漂い始めていた。海も、そこに浮かぶ船も、ぼんやりと揺れていた。まどろみかけている世界をワシと車だけが移動している。せかせかと歩いている割には、視界を過(よぎ)る風景の流れが遅く感じられる。走っても、走っても、進んでいかない夢を見ているような心持ちであった。そうした時間に退屈を感じ始め、心のサプリが必要と思われた頃に海辺の学校が見えてきた。

土曜日の校舎に人影はない。広い運動場で部活動をしている生徒の姿もない。道路を挟んだ海岸堤防の先には海が広がる。心のサプリが必要になりかけていたワシに生徒のざわめきが聴こえてきた。休み時間、教室のあちこちで話に花が咲く。そこには笑いがあふれている。不器用な生徒は、授業を抜け出して海岸堤防に腰かけ、夢や悩みを語り合う。放課後、野球、サッカー、陸上競技、真剣な眼差しで練習する生徒達の汗が運動場に舞い、きらきら光る。暮れなずむ海辺の歩道、自転車を押しながら歩く男子に何かを話しかけながら歩く女子、彼女の足元が心なしか上下に揺れている。海辺の学校、そんな青春ドラマの完璧な舞台で若人(わこうど)が健全な心身を育(はぐく)んでいる。ワシの思い出には1ページも描かれなかった青春である。

 

(わしもそんなアオハルをしたかったのぉ…)

 

ワシにも海に近い学校と部活動はあった。友達と授業を抜け出したこともある。しかしワシは時代に先駆(さきが)けて週休三日制を部活動に取り入れ、結局、部活動を辞めることになった。当然の結末である。授業を抜け出して、友達と話もした。しかしそれは内緒(ないしょ)酒(ざけ)をしながら学校への不平不満を吐き出すというものであった。ほぼサラリーマンのオッサンである。女子との甘酸っぱい帰り道…奥手のワシが通う学校は男子校であった。周囲は酸っぱい汗の野郎ばかりである。おそらくタイムマシーンであの頃に戻れたとしても、ワシの青春は変わらない。時の遡及(そきゅう)がワシとワシを取り巻く環境を劇的(げきてき)に変化させるとは思えないのである。心を潤(うるお)す妄想(もうそう)サプリの時間は、ワシに見果てぬ夢が永遠の夢であることを確認させただけであった。無力感と徒労感が綯(な)い交(ま)ぜになった心持ちを振り払うように、ワシは海に心の叫びを投げつけたー我が青春に悔いなし!キラキラしたアオハルは、来世のお楽しみに取っておくことにするのであった。

市街地に入った。同じような風景が淡々と続いていたので、ほっと一息つけたような気分になった。反面、身体にはかなり気になる不調が生じていた。胃の不快感は完全になくなっていたが、それと交代するように脚の不調がはっきりと感知されるようになったのである。第一エイドを出てしばらくの後、足首や脛(すね)の前あたりに若干の違和感を覚え始めていた。ただ歩調に影響するほどのものではなく、歩くうちに解消するであろう、と軽く考えていた。しかしその見通しを反証するかのように、進むにつれ徐々に違和感は増した。時折、足首回しや脛(すね)の前のマッサージをしたりして違和感を誤魔化(ごまか)し、少しペースを緩めながら歩いてきた。しかし、ここにきて違和感が痛みに変化してしまっていた。踏み出すたびに脛から足首にかけて痛みが生じる。何とかその痛みを避けるように歩こうと、歩き方を工夫しながら進む。一時的に痛みをコントロールできても、しばらくすると少し成長した痛みが戻ってくる。こうしたことを繰り返しながら進み続けていた。そして市街地の通り沿いにある美術館に差しかかる頃には、歩くペースをかなり落とさなければ、痛みを避けられない状態になっていた。美術館入口前の空間を拝借(はいしゃく)して入念に脚のストレッチを行い、ゆっくりとしたペースでリスタートする。少しばかり回復した脚の状態をいつくしむように、ゆっくりと歩き続ける。市街地を抜けると、再び海沿いの通りに出た。佇(たたず)む漁船が明日を待っている。行きなずむワシにはヤシ並木の通りが終着地のないもののように思われた。

第二エイドの瀬戸田(せとだ)サンセットビーチに辿(たど)り着いた。そこはその名の如(ごと)く日没を迎えようとしていた。無料で振る舞われたレモネードがこの上なく美味しかったが、食欲は湧(わ)かなかった。配付されている弁当は受け取らず、水の補充だけをして浜辺の休憩所に転がり込む。季節外れとなったビーチには、ほとんど人がいない。ザックを下ろし、靴を脱いで脚のストレッチやマッサージを入念に行い、大の字に仰臥(ぎょうが)して目を閉じる。疲労がどっと湧(わ)き出てくる。第二エイド入口の表示によると、ここはコースの32キロ地点である。つまり、まだ70キロ近い行程が残されている。脚の状態、疲労の度合いを考えると、太陽と共に気持ちも沈んでいく。暗澹(あんたん)たる気持ちで大きくため息をついていると、近くで女性の声がした。声の主に顔を向けると、使い捨ての汗拭きタオルをワシに勧(すす)めてくれていた。起き上がって有り難く受け取り、少し話をした。ワシよりいくぶん年嵩(としかさ)と思われる彼女は、このイベントに参加しているご主人のサポート役を務めていた。ご主人も100キロウォーキングへの参加は初めてで、不慮(ふりょ)の事態、特にリタイヤに備えて彼女にサポート役をお願いしたらしい。リタイヤの場合には、リタイヤ場所で拾ってすぐに帰途につく予定である、とのことであった。

 

「主人、リタイヤしたら恥ずかしいって、周りには隠して参加してるんですよ」

 

そんな話をして笑った後、彼女はご主人の到着確認のためエイド入口の方へ離れて行った。再び仰臥(ぎょうが)したワシは目を閉じて彼女の言葉を反芻(はんすう)してみた。リタイヤしたら恥ずかしい、よって周囲には隠して参加。賛同できる価値観とそれに対する適切な対策といえよう。これに対して我が身はどうであったろう。リタイヤなど考えてもいなかった、よって周囲に無邪気(むじゃき)な参加表明。慎重(しんちょう)な姿勢、ワシの人生に足りないものの一つである。因島(いんのしま)大橋(おおはし)での矜持(きょうじ)はどうした、との囁(ささや)きも聴こえてくる。自身の現状と残りの行程を考えると、リタイヤの現実味は増していた。しかし、まだ32キロしか歩いていないのである。周囲にウルトラウォーキングへの参加を発表してしまっているのである。リタイヤするにしても、もう少し言い訳を考え易い距離を歩いておかなければ、どの面(つら)下(さ)げて地元へ戻れるというのか。とりあえず、この場所でのリタイヤはあり得ない。先ずは18時間台での完歩という目標を捨てることにした。第二エイドでしっかり休息を取り、ゆっくり歩いて第三エイドまで歩く。そこでその後の身の振り方を改めて判断することに決めた。こうして1時間を超える休息を取った後、日没後のトワイライトが深まる第二エイドを後にしたのである。

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