ツギハギ歩き旅・番外編2
~行橋・別府100キロウォーク①~
オレンジ色に染められた空気が町を漂流している。自宅最寄り駅へ向かうワシの緊張感を金木犀(きんもくせい)が和(やわ)らげてくれていた。光を含んだ空の水色が青みを増しつつある。今日、ワシは行橋(ゆくはし)・別府(べっぷ)100キロウォークに参加する。1年程前に参加した、しまなみ海道(かいどう)ウルトラウォーキングでの忘れ物を取りに行くのである。
ワシは趣味で歩き旅をしている。しまなみ海道ウルトラウォーキングはその歩き旅の一環(いっかん)として参加することにしたものであった。これまで1回の行程が20~40キロ超、時速6キロ平均の移動ということを目安に、ワシは自分の歩き旅の計画を立ててきた。100キロもの距離を歩くのは初めてであったが、その目安を基(もと)に考えた18時間台での完歩という目標を設定して、イベントに臨(のぞ)むことにした。100キロを時速6キロで完歩すると、16時間40分かかる計算となる。それにエイド等で十分な休憩をとる時間を見積もって考えると、18時間台での完歩がワシなりに出した無理のない目標だったのである。ところが実際に参加してみると、身体の不調に道行きを阻まれて散々な状態でゴールすることになった。所要時間は21時間を優に超えていた。そもそもワシは歩いて旅をするのが好きなのであって、己の限界に挑戦するようなウルトラウォークイベントが好きなわけではない。ゴール直後、100キロウォークなど二度とやらないと心に強く誓ったのであった。ところが日が経つにつれ、記憶の風景が変わり始める。あんなに辛かった道中を追想するワシがいた。トラウマにしかならないと思っていた記憶を懐かしく感じ始めたのであった。
(ホントにバカなんじゃなかろうか…)
色の塗り替えられた記憶の風景が、ワシを再挑戦の舞台へ誘(いざな)った。しまなみ海道ウルトラウォーキングの三週間後、ワシはその日に開催される行橋・別府100キロウォークのスタート地点に立っていた。もちろん参加のためではない。その年の参加申し込みは数ヶ月も前に終了していた。自分自身に改めて挑戦状を叩きつけるためにその場に立ったのである。再挑戦ということであれば、翌年のしまなみ海道ウルトラウォーキングに挑むのが筋であったろう。しかしワシは再挑戦の舞台を行橋・別府100キロウォークに決めた。行橋・別府100キロウォークはワシが歩くことを好きになってから、いつか参加してみたい、と思っていたイベントであった。コース設定の厳しさも、しまなみ海道ウルトラウォーキングに劣るようなものではない。昔に抱いた小さな夢と果たせなかった小さな約束を一遍(いっぺん)に実現させることにしたのである。
(ワシは来年、ここを歩く!)
土手の上からスタートゲートを眺めながら、しまなみ海道ウルトラウォーキングで果たせなかった18時間台での完歩を誓い、その日は帰途についたのであった。
スタート地点である今川(いまがわ)河川敷は光と活気にあふれていた。スタート会場を取り仕切る司会者の軽妙なトークと、和太鼓や笛の演奏が場の雰囲気を盛り上げる。10月も半ばに差し掛かろうとしているのに、快晴の日(ひ)射(ざ)しと人いきれで会場はムンムンとしている。時折、近くの鉄道(てつどう)橋(きょう)を渡る日豊(にっぽう)本線の列車の走行音が、人々の声の間を縫(ぬ)うようにして聴こえてくる。ワシは土手上の道にある、ガードレールの土手側に腰を下ろしていた。たくさんの参加者が会場の雰囲気を仲間と共に楽しみながら、思い思いにスタートの時を待っていた。そんな人々を横目にワシの気分はどん底で体育座りをしていた。これから100キロの道程を歩く。その100キロがどういうものであるのか、ワシは身をもって知っていた。途中でリタイヤでもしない限り、少なくとも夜明け過ぎの時間までは歩いていなければならないであろう。100キロウォークへの再挑戦の決意の先に見え隠れしていた予感が、ここにきて現実の後悔となってワシにのしかかっていた。スタート会場を盛り上げる様々な演出に会場の熱気も、ワシの後悔も最高潮(さいこうちょう)に達しつつあった。そんなとき、一人の女性がワシの左側を通り過ぎた。一息の間を置いて、ワシは左側頭部に軽く殴られたような衝撃を受けた。振り向くと、ガードレールの向こうに降り立とうとする彼女と目が合った。ワシの直ぐ後ろにあるガードレールを跨(また)ぎ越そうとしていたようである。障害物競走のハードルを乗り越える要領(ようりょう)で、右脚でガードレールを跨(また)いだ後、左脚を外方向へ捻(ひね)って持ち上げ、そのままガードレールの先へ移動させる。そうして、その足を道に着地させようとしていたものと思われた。謝る彼女に笑顔で応え、その場から見える風景に目を向ける。河川敷のコスモスが首をかしげて参加者の顔を覗(のぞ)いている。ススキの向こうでは川面が小刻みに揺れる。青空に吹きつけられた白い雲がゆっくり流れて行く。そんな平和な画(え)の中で、ワシは女性から足蹴りを喰らわされる。偶発的なこととはいえ、何の因果(いんが)であろうか。ワシに、もたらされたのは足蹴りである。少なくともワシへの暖かい応援的な意味合いのものではない。好意的な解釈で叱咤(しった)激励(げきれい)的なものと考えるべき、と思われた。平たく表現すると、ここまで来てウジウジしとるんじゃない、ということであろう。女神のキックで覚悟は決まった。土手を下り、ワシはスタートを待つ行列に身を投じた。
スタート地点ではゼッケンの色別に並んで、順次にスタートする。並び順は前から白ゼッケンの参加者(100キロウォーク完歩タイム実績、16時間内、18時間内、20時間内の順)が整列し、その後ろに黄ゼッケン、青ゼッケンの参加者が並ぶ。黄ゼッケンは行橋(ゆくはし)・別府(べっぷ)100キロウォークの完歩タイム実績、20時間外の参加者、青ゼッケンは初参加者が装着している。初参加者であっても、他の100キロウォーク大会での完歩タイム実績が20時間内であれば、赤テープの貼付(ちょうふ)された青ゼッケンを装着して白ゼッケン参加者のスタート枠に並ぶことができる。行橋・別府100キロウォーク初参加、かつ100キロウォーク完歩タイム実績、20時間外のワシは列の後方からのスタートとなる。正午から3人一組で順次スタートして行くのであるが、約4,000人の参加者全員がスタートするには1時間程度かかる見込みであった。ワシは30分近く待ったところでのスタートとなった。良く晴れた河川敷を参加者の長蛇(ちょうだ)の列が移動して行く。道沿いでは近隣住民と思われる人々が、それぞれ思い思いの形で参加者に声援を送ってくれている。今回で26回目の開催となる行橋・別府100キロウォークは、地元の風物詩(ふうぶつし)として定着しているのであろう。
「行ってらっしゃーい」
「頑張って!」
声援に元気を貰(もら)う。しかし、ここからが長いのである。昨年のしまなみ海道ウルトラウォーキングではスタート直後からのオーバーペースも祟(たた)って、イベントの早い段階から身体に不調を来していた。身体も軽くて元気あふれる100キロウォーク序盤の自分を調子に乗せてはならない。前年の轍(てつ)を踏むことなく、少しでも成長した自分で100キロウォークへの再挑戦を進めていくつもりであった。
この大会参加に先立って、ワシは行橋・別府100キロウォークの練習会を兼ねたウォーキングイベント・北九州(きたきゅうしゅう)50キロウォークに参加していた。本番である100キロウォーク参加にあたっての問題点を確認することが、第一の目的であった。その北九州50キロウォークへ向けた個人練習において、ワシは自らの歩き方の改善に向けた、いくつかの試みに取り組んでいた。しまなみ海道(かいどう)ウルトラウォーキングへの挑戦で炙(あぶ)り出された問題点改善に向けての試みである。しまなみ海道ウルトラウォーキングでワシの脚を止めた、前脛(まえすね)と足首の痛みの問題に対処できなければ、昨年と同様の結果が待っている。ネットやSNS等で発信されている身体や運動に関する情報を参考に個人練習メニューを作った。ただワシはスポーツの専門家でもなければ、アスリートでもないので、緻密(ちみつ)に計算されたものなど作れるはずもない。手にした情報を基に考えた、ザックリとした練習指針といった程度のものであった。一遍(いっぺん)に完全解決とはいかないであろうが、先での改善に向けた布石(ふせき)くらいになれば、上々である。先ず、あらゆる運動をする上での基礎として、身体のバランス状態を整える必要がある。バランス状態の悪い身体で動くと、身体の偏った部分に過剰な負担がかかり、それが身体の様々な部分の不調を招くことになる。そしてバランス状態が崩れる原因の一つとして考えられるのが、筋肉の強張(こわば)りである。そこでワシは日々、身体全体のストレッチをするように心掛けた。また前脛(まえすね)の問題もその部分にある前脛(ぜんけい)骨筋(こつきん)の過剰な緊張が原因とも考えられたので、その部分のストレッチを重点的に行うようにした。次に足首の問題であるが、それは歩行時における遊(ゆう)脚(きゃく)(振り出す脚)の着地位置に問題があるように思われた。よく目にするウォーキングのイラストに両腕を前後に振り、脚を身体の前方へ振り出して踵(かかと)で着地するといったポーズを描いているものがある。しかし歩行時に身体の前方に踵を着地させてしまうと、身体の進行にブレーキをかけてしまうことになる。またそのような着地をすることにより、足首の中心にある距(きょ)骨(こつ)の位置がずれて、足関節に不都合な影響がもたらされる懸念もある。つまり効率的で身体を痛めない歩行のためには、遊脚の足が着地する場所は体幹の真下であることが望ましい、と考えられるのである。ワシはこうした着地動作を繰り返し練習することにより、長距離歩行時の足首問題を改善する試みも併せて行ったのであった。
北九州50キロウォークが開催された今年の9月下旬は、まだまだ真夏に近い状態の気象であった。しかしこの日は曇りがちな天気で、長距離のウォーキングには好都合であった。他の参加者の邪魔にならないように気をつけながら、スタートから自分に出せる可能な限りのスピードで歩き進めて行った。特に問題がなく歩ける状態を維持できる限り、そのペースで進むつもりであった。そうする中で自分の体調を観察し、これまでの練習の成果や問題点を把握するのである。気温の上昇は気になる程ではないが、かなりのスピードで歩いているので、それなりの発汗があった。水分、ミネラル等の不足による熱中症対策も怠るわけにはいかない。しまなみ海道ウルトラウォーキングのときは、ミネラル成分も豊富な塩をミネラルウォーターに溶かして携行(けいこう)した。しかし塩水を入れたペットボトルを持ち運ぶのは、嵩張(かさば)る感覚があった。そこで今回からは岩塩タブレットを携行することにした。市販のタブレット菓子容器と同様のケースに入っていて、コンパクトに携行できた。用量は水分補給1リットルにつき2粒の摂取(せっしゅ)が目安とされている。スタートからこまめに水分補給をしていたが、まだ1リットルには満たない。自分の状態に気を向けてみるが、何らかの不調が生じる兆(きざ)しも感じられない。もう少し様子を見ながら、タブレット摂取のタイミングを計ることにした。そうして快調に歩き進めた結果、スタートから約2時間半で18キロ地点に設置されていた第一エイドに到達した。平均時速7キロを超えるスピードで歩いて来た計算になる。ここまでアップダウンもある道程であったことも考えると、かなり速いペースであった。途中、化け物のようなウォーカーに抜き去られはしたが、歩き旅を趣味とする普通の人でしかないワシには、限界に近いペースでのウォーキングであった。そんな歩き方をしたにも関わらず、身体には何の不調も生じていなかった。個人練習が実を結んだように思われて、少し誇らしい気持ちになった。しかしまだまだ油断はできない。これまでの経験からすると、身体に不調が生じるのは30キロ前後の行程をこなした後であった。ワシは気を引き締め直して第一エイドを後にした。
35キロ地点の第二エイドを出てしばらくすると、やはりその時がやってきた。かなりのペースを維持したまま歩いていたこともあり、30キロを過ぎた辺りから相応の疲労感はあった。ペースは自然に落ちていくと思われたが、歩くことに支障となるような身体の不調は感じていなかった。しかし第二エイドを出て少しのところで前脛(まえすね)、足首の違和感を感知するようになった。ペースを意識的に落としながら、違和感を助長しないように進んで行く。こうした場合、得てしてワシには残念な事態が被(かぶ)さってくる。ずっと空を覆っていた雲に切れ間が生じ始め、それが次第に広がっていったのである。泣きっ面(つら)に蜂(はち)。お日様が満面の笑みでワシを照らす。気温と共に体温も上昇する。そしてワシの足首が引(ひ)き攣(つ)って、ランダムに底屈(ていくつ)、背屈(はいくつ)、内反(ないはん)、外(がい)反(はん)の動きをする事態になっていった。どうやら熱中症の症状も出てきたようである。足がワシの命令を無視している状態で歩き進むことは難しい。日陰で休息して状態の回復に努めたかったが、目視の範囲には日陰などなかった。その場の歩道が広いことが、不幸中のとても小さな幸いであった。ワシは人目も憚(はばか)らず歩道の隅に脚を投げ出して座った。足首を動かして脚の筋肉のストレッチを試みるが、どの方向に動かそうとしても脚が攣(つ)る。そのまま座って状態の改善を待つしかない。心に浮かぶリタイヤの文字としばらく格闘する。そうしているうちに、幸いにも脚が痙攣(けいれん)するような感覚が治まってきた。ゆっくりであれば、移動は可能と思われた。ワシは日向(ひなた)から逃れるべく、ゆっくりと立ち上がり、その場を後にした。
コンビニの空調が効いたイートインスペースで15分程度の休憩を取った後、ワシはウォーキングルートへ復帰した。イートインスペースでは足首周りのストレッチを入念に行い、水分とミネラルをしっかり補給した。一般的には熱中症の原因として、筋肉疲労、水分不足、ミネラル不足等が指摘されている。この日のワシはそれらの原因が、大なり小なり重なって熱中症の症状が出たものと思われた。筋肉疲労はオーバーペースによるものと考えられた。本番の100キロウォークでは、その日の自分のコンディションに合ったペースコントロールを心掛けなければなるまい。水分、ミネラルの補給は、相応のやり方で適切に行っていたつもりであった。しかし結果からすると、不十分であったと評価せざるを得ないということになる。特に脚の痙攣(けいれん)という症状は、ミネラル不足に起因するものとされている。ミネラルは円滑な神経伝達と筋肉の収縮において重要な役割を果たしているのである。従って今後は、とりわけミネラル補給には留意しなければならないであろう。道中での反省点を検討しながら、ゆっくり歩く。上空では雲が再び幅を利かせてきていた。日の陰った通りをしばらく進んだ後、少しだけ歩調を速めて脚の状態、その他の体調の変化を観察する。脚が痙攣しそうな感覚はなくなり、その他の体調も明らかに回復していっているように思えた。コンビニでの対応と天気の変化が、身体に良い影響をもたらしたのであろう。一方で前脛(まえすね)と足首の違和感は、いくぶんマシになっていたが、消えてはいなかった。この前脛と足首の違和感は、この後ゴールまで悪化も改善もすることはなかった。つまり前脛と足首に関する問題は、依然として解決されていない、ということになる。その後ワシは、北九州50キロウォークでの経験にどう対応し、本番の行橋・別府100キロウォークにどう活かすか、あれこれと考えを巡らせながら歩き進めて行った。そうしてゴール地点である行橋の「正(しょう)八幡宮」に無事到着したのであった。