ツギハギ歩き旅日記・番外編2~行橋・別府100キロウォーク③

歩き旅・番外編

ツギハギ歩き旅・番外編2
~行橋・別府100キロウォーク③~

夕食時である。沿道の飲食店の灯が通りを照らしている。家族連れが嬉しそうに入店して行く姿が目に入った。土曜日の夜、みんなで決めた店で、それぞれが思い思いのメニューを注文する。テーブル席は食事が終わるまで、しばし家族だけの空間になる。暖色系の照明に包まれて、みんなの表情が溶(と)けていく。ほの暗い通りを歩きながら、そんな想像を巡らせる。上空の弓張月(ゆみはりづき)がワシに矢(や)文(ぶみ)を放つー今宵(こよい)、君にそんな空間はやってこないー自らが選んだ至極当然の事実が心に響いた。いつもなら、家族と晩酌(ばんしゃく)を楽しんでいる時間である。それなのに今日は疲労と不調を抱えながら、独り歩いている。日々のお楽しみを蹴ってこんな状況を自ら選択するなど、正気の沙汰(さた)ではない。ぼんやりとした街灯の光がワシを包んでくる。心に童話・マッチ売りの少女の世界が広がる。そこでワシは路傍(ろぼう)にしゃがみ込み、マッチに火を灯(とも)す。焼き鳥が浮かんでは消えた。もう一本、マッチに火を灯す。刺身の盛り合わせが浮かんでは消えた。こうしてマッチに火を灯す毎(ごと)に寿司が、焼き肉が、ビールが、焼酎が、日本酒が…それぞれ浮かんでは消えていった。一頻(ひとしき)り虚(むな)しい夢想に浸(ひた)る。しまなみ海道ウルトラウォーキングのときも、この時間帯に同じような心持ちになったことが思い出された。相(あい)も変わらず未練がましい。ワシが生まれ育った昭和の時代、ストイックであることが男の理想像の要素であった。そんな時代に育ったとは思えない成長ぶりである。とはいえ、リタイヤをしたいわけでもないのである。今このとき、晩酌と完歩が両立しないという現実を、受け入れるための手続きのようなものであった。くよくよ考えて、くよくよ考えて、考え疲れて諦める。潔(いさぎよ)さの欠片(かけら)もない方法で前を向き、改めて100キロ完歩への覚悟を決める。全く面倒な男であった。

日没後はしのぎやすい気温になっている。ワシを悩ましていた脚の痙攣(けいれん)は完全に治まっていた。攣(つ)りそうな気配すら感じられない。北九州(きたきゅうしゅう)50キロウォークでも脚の痙攣は日が陰って暑さが和らいだ後に治まった。これらを考えると、夏季には身体を暑さに慣らさせる暑熱(しょねつ)順化(じゅんか)を心掛ける必要がありそうである。今後はミネラル補給等の熱中症対策と併せて行っていくことを心に決めた。前脛(まえすね)と足首の違和感は相変わらずであったが、無理な歩き方さえしなければ、それほど大きな支障となることはないように思えた。第一チェックポイントを出てからは、白ゼッケン資格の獲得、即(すなわ)ち20時間内での完歩を目指して歩いている。当初に掲げていた18時間台完歩に比べれば、余裕のある目標設定ではある。それでも100キロベースで考えると、平均時速5キロペースで歩かなくては達成できない。脚に不調があるからと言って、極端にペースを落とすことはできない。ペース計測機能がついたスマートウォッチでも携行していれば、移動中に正確なペースを把握してペースコントロールも可能である。しかし、ワシはそんな素晴らしい機能に比例して、価格も素晴らしい商品など持ってはいない。道中のペース判断は体感に頼るしかない。ただ自分の体感による判断に自信があるわけではない。進んでいるペースを必要以上に厳しく評価してしまうことが十分に考えられた。ペースが遅いのではないか、との疑念が焦(あせ)りを生み、不要なペースアップにつながる。そうなると、その先には芳(かんば)しくない結果しか想像ができない。第一チェックポイントまでの道中が平均時速6キロペースであった。これを参考に時速5キロペースの体感を探ってみる。試行錯誤を繰り返すも、なかなかしっくりくる体感をつかめない。ため息をついて肩をすくめていると、不意に金木犀(きんもくせい)が鼻腔(びくう)を抜けて行った。周囲に意識が向く。その意識の向こうに二人組のゼッケンが揺れていた。白ゼッケンである。白ゼッケンの参加者は、20時間内での完歩ペースで歩いて行くものと想定できる。つまり白ゼッケンの参加者をペースメーカーにすれば、自ずと20時間内完歩ペースで歩けると思われた。目の前の白ゼッケン二人組なら、ワシもついて行けそうなペースで進んでいる。こうしてワシの「白ゼッケン道連れ大作戦」が静かに開始されたのであった。

白ゼッケン道連れ一行(いっこう)はその規模を変化させながら進んで行く。初期メンバーはワシと白ゼッケンを背負った年嵩(としかさ)の男性二人組であった。その後、道中でワシ達に追いついた人や追いつかれた人が自然に加わったり、離脱したりしていた。ワシとしては歓迎すべき状況であった。一方的にペースメーカーになってもらい、勝手に後をついて行っているのである。夜道を一人の見知らぬ男がついて来る。白ゼッケン二人組が気味悪く感じるおそれが少なからずあった。しかし、ついて来る人間が一人でなければ、ワシの怪しさなど周りの気配に埋もれてしまうであろう。ワシは一行の最後方から置いて行かれない程度に歩を進めていた。金色に輝く半月(はんげつ)の静かな光が宇宙をほのかに照らしている。道行く参加者の背には安全確保のためのバックライトが点滅している。青味の強い澄んだ青紫の光が揺れて、星の瞬(またた)きのようである。ふと中島みゆきの歌に、「地上の星」というものがあったことが思い出された。星は空にだけあるものじゃないらしい。近くで瞬く星、遠くに揺れる星、「地上の星」達の道はまだまだ遠い。後方の空気が少し揺れた。ほうき星がワシ達一行を勢いよく抜いて行く。すると、あろうことか、一行の一人がそれに追随(ついずい)しようとしたのである。それに釣られるように他の者のペースも上がる。一行は意思の連携などない自然発生的な集団である。そうしたものでも一定の間その状態が維持されていると、集団意識が芽生えて各自が集団の動きの変化に同調しようとするのかも知れない。脚に必要以上の負担をかけたくないワシには迷惑(めいわく)千万(せんばん)な話であった。とりあえず、あまり離されない程度にペースアップして様子を見る。しばらくすると、次第に白ゼッケン道連れ一行のペースが落ち着いてきた。場の雰囲気に引きずられていたメンバーが冷静さを取り戻したのであろう。ほうき星を追うペースに上げる必要性などなかったはずなのである。ワシは安堵(あんど)の息を吐(つ)いて一行に追いついて行った。

50キロ地点となるパーキングスペースと思われる場所では、クロワッサンが配られていた。ワシは食べるつもりはなかったので、配給は受けない。その場で脚のストレッチをする。わずかな間をおいて、クロワッサンを手にした年配の父娘がコースへ戻って行くのを確認する。二人は現在の「白ゼッケン道連れ大作戦」のペースメーカーであった。当初の白ゼッケン道連れ一行は、雲散霧消(うんさんむしょう)していた。一行がワシと白ゼッケン男性二人組だけになっていたタイミングで、二人がトイレ休憩所に向かって行ってしまったのである。ついて来ているワシを気味悪く感じての行動ではない様子であったが、トイレにまでついて行くのは躊躇(ためら)われた。ひとまず「白ゼッケン道連れ大作戦」を中断することにして、体感でそこまでのペースを維持しながら進み続ける。そしてしばらく一人で歩き進めた後、新たな白ゼッケンのペースメーカーになってもらっていたのが年配の父娘であった。何の意思疎通(そつう)もない道連れである上に、メンバーに女性が含まれているので、相応の距離感を保つように心掛けた。ただ今回もメンバーの出入りがあったので、ワシの行動が怪しまれるおそれは少なかった。今はワシと父娘の二組になっていたが、そのうちまたメンバーも増えるであろう。街はずれの通りにはあまり街灯がない。濃さを増した夜の色に包まれながら、ワシの一方的な道連れウォークが続いた。空を見上げると、半月が静かにワシ達を見つめていた。通りが暗い分、その輝きが増したように見える。時折じゃれついてくる金木犀(きんもくせい)がモノクロの退屈な心象(しんしょう)に彩(いろど)りを添える。道連れ二人と共に深まりつつある夜の通りを黙々と進んで行った。

大きな朱色の鳥居が暗闇に浮かび上がって見えた。霊験(れいげん)あらたかな宇佐(うさ)神宮前の通りを進む。白ゼッケン道連れ一行は5人の集団になっていた。50キロ地点のパーキングスペースを出てしばらく後、ワシ達はカップルと思われる若い男女に追いついた。その二人がそのまま合流する形になって、現在に至っていたのである。当初は父娘、ワシ、カップルの順で進んでいた。そうしているうちに、ふと思うところあって、ワシはこの状態を客観的な視点で思い描いてみた。仲良し父娘、ワシ、恋する男女…仲良し父娘、独りぼっちのオヤジ、恋する男女…ワシだけに負のイメージが漂う。オセロゲームであれば、ワシも救われよう。しかし目の前の現実はゲームではない。ワシは何とも言えない居心地(いごこち)の悪さから逃れるように歩調を緩める。そうしてカップルの後方からついて行くことにしたのであった。父娘もカップルもたまに小声で言葉を交わす程度で、粛々(しゅくしゅく)と歩いていた。夜も更けてきているので、町は眠りに就(つ)き始めている。周辺住民への配慮を欠いてはならない。ワシの前脛(まえすね)と足首の違和感は相変わらずであったが、悪化がないだけでも良し、とするべきであろう。第2チェックポイントである郷(さと)の駅宇佐(うさ)は、もうそれほど遠くないはずである。闇に支配された沿道の風景には味気なさが、そこはかとなく漂う。色味の乏しい夜の世界に飽きを感じ始めていると、不意に白ゼッケン父娘が沿道のコンビニに向かって行ってしまった。追って行ってあらぬ誤解を招くくらいなら、道連れの解消もやむを得ない。人様(ひとさま)に不安を抱かせるような行動は避けなければならない。幸いなことに、もう一組の道連れであるカップルにも白ゼッケンがいる。ワシはそれほど躊躇(ちゅうちょ)することなく、そのままコースを歩き続けて行った。

若いカップルとの道連れウォーキングが続いた。狭い歩道であったので、彼氏、彼女、ワシの順で縦一列になって進んでいる。彼氏は白ゼッケン、彼女はワシと同じ青ゼッケンである。男女の体力差もあると思われるので、カップルがその並びになるのは自然なことであろう。そこで問題となるのがワシである。道連れ一行の前後に他の参加者がいないわけではなかったが、彼らとはいくらか離れている。形式的には三人組がポツンと暗い夜道を歩いているのであるが、内実は若いカップルとぼっちオヤジがポツンと暗い夜道を歩いているのである。そして自然の流れとはいえ、オヤジが若い女性の背後からついて来る形になっていた。彼女とはいくらか距離を置いて進むようにはしていた。しかし暗い夜道、若い女性の背後に見ず知らずのオヤジといったシチュエーションであることに変わりはない。白ゼッケン父娘が同行していたときには特に気にすることもなかった。しかし、こうしてカップルとワシの二組だけになった状態を一歩引いて見ると、その歪(いびつ)さが浮かび上がってくる。もちろん、白ゼッケン父娘とワシの二組だけであったときも同様の状態であった。ただこのときは双方が相応に年齢を重ねた者同士であったので、ワシが目につくような不審な行動をとらない限り、相手に不安感を抱かせることはない、と考えていた。これに対して今回は相手が年若いカップルなのである。年配の父娘とはその精神的な成熟度に違いがあることを考慮に入れる必要があろう。何故だかついて来ているワシへの疑念がストーキング疑惑に育っていく可能性も十分に考えられる。心なしか、彼氏が後方を振り返る回数が増えてきている気もする。双方の心の安寧(あんねい)のため、ワシは少しスピードを上げて二人を抜いて行くことにした。こうして今回の道連れ一行も消えていったのであった。

ワシはイベントテントに敷かれたブルーシートに座り、脚を投げ出していた。一通りの身体のメンテナンスを終え、しばしの休憩である。第二チェックポイントである郷(さと)の駅宇佐(うさ)に着いたのは、23時をいくらか過ぎた頃であった。ここまで60キロ超の道程を11時間くらいで歩いて来ている。このペースで行けば、白ゼッケン資格の獲得は十分に可能と思われた。しかし油断はできない。ここから先には行橋(ゆくはし)・別府(べっぷ)100キロウォーク名物の三つの峠越えが待っている。平地を行くようなペースで進むことは困難であろう。悠長(ゆうちょう)に休んではいられないが、少しくらいは体力を回復させておく必要もある。向かいのテントで販売されている、うどんのスープの匂いがワシの食欲をくすぐる。しかし、しまなみ海道(かいどう)ウルトラウォーキングでは欲求に敗北した結果、酷(ひど)い目に遭(あ)っている。身体に変調をもたらすリスクは避けなければならない。ワシにも少しは学習能力があるのである。とりあえず岩塩タブレットを口に放り込む。真夜中の峠越えは冷えると聞いていたので、アンダーシャツを着替え、ウィンドブレーカーを着用する。少しの間、瞑目(めいもく)して自分の身体の声に耳を傾ける…苦情しか聴こえてこない。ごもっともである。ワシはそれらを聴かなかったことにして、ゆっくりと立ち上がるのであった。

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