ツギハギ歩き旅・番外編2
~行橋・別府100キロウォーク⑤~
第三チェックポイントを出て直ぐのタイミングであった。ワシは信号待ちをしていた。すると、そこで参加者の誘導に当たっていたボランティアスタッフの年配男性がワシの青ゼッケンを見て声を掛けてくれた。
「初参加でこの時間にここなら、けっこう速いんやないかな…まだ4時半を過ぎたくらいやけん…」
「⁉…ありがとうございます!身体はボロボロですけどね…」
「頑張って(笑)」
ワシの「時間確認しないで行こう大作戦」はチェックポイントを出た途端に潰(つい)えてしまった。散々考えた挙句(あげく)の「時間確認しないで行こう大作戦」であった。本来であれば、男性の首を絞めたくなるところである。しかしワシはその男性にハグをしたいくらいの気持ちであった。現在時刻が午前4時半をいくらか過ぎたくらいであれば、第三チェックポイントでの計算からすると、余裕を持って20時間内完歩を達成できそうである。またその時間に最終チェックポイントを通過できている事実にも勇気づけられた。「白ゼッケン道連れ大作戦」と覚束(おぼつか)ない自分の体感でのペース配分が奏功(そうこう)した証拠だったからである。心持ちの変化が脚の不調と疲労を少し軽減してくれたような感じがした。つくづく現金な男である。通りはまだまだ暗かったが、ワシは晴れた気分で信号を渡る。渡り切ったところで、ふと、重大な事実に思い至った。
(間に合うかも知れん…)
しまなみ海道での忘れ物である。そもそもワシは、この行橋・別府の地に18時間台完歩という、しまなみ海道ウルトラウォーキングでの自らとの約束を果たしに来たのであった。しかし第一チェックポイントで脚の不調等を考慮する必要に迫られ、それが20時間内完歩に下方修正されて現在に至っていただけなのである。最終区間に至って間に合う可能性が出てきたのであるなら、本来の目的に立ち返るのが筋とは思われた。しかし18時間台完歩のためには平均時速6キロくらいのペースで、残されたゴールまでの道程を歩かなくてはならない。今の脚の状態ではかなり難しいと思われた。ペースアップすれば、脚に響く痛みが増幅されるであろう。それに耐え続ける自信はなかった。しかし本来の目的を、一年越しの約束を果たせるチャンスがまだそこにあるのである。疲労の蓄積はあるが、体力的な限界がきているとは思わない。ただ脚の状態に意識を向けると、18時間台完歩へ再び挑む踏ん切りがつかなかった。ぐずぐず考えている間に時間はどんどん過ぎていく。ペースを上げることも、下げることもできないまま、未だ明けない夜の中でワシの葛藤(かっとう)は続いた。
葛藤を抱えたまま、しばらく歩き進んでいると、数人の男子学生に追いついた。着用しているスポーツウェアの背部上方には、学校名と思(おぼ)しきローマ字の表記がある。高校の部活仲間と思われた。連れ立って黙々と歩いているが、一人の様子が何となくおかしい。その学生の足元に目をやると、少し歩き方に違和感を覚えた。足を少し余分に持ち上げて、それを地面に打ちつけるように踏み出しながら進んでいる。以前、ワシも同じような経験をしたことが思い出された。初めて泊りがけで出た九州の歩き旅で、足裏のマメが潰(つぶ)れて難儀したときのことである。あのときのワシも彼のように足を地面に打ちつけるようにして歩いていた。足裏への刺激を抑えるようにゆっくり歩こうとすると、却って痛みで足を踏み出して行けなかったのである。歩き続けるためには思い切るしかなかった。足裏の痛みに挑むように強引に足を踏み出し続けた。そうしていると痛みの感覚が鈍ってきて、歩き続けている間は何とか痛みを堪(こら)えることができたのであった。彼も足裏のマメが潰(つぶ)れてしまったのかも知れない。仲間と共に挑んだ100キロウォークである。何としても仲間について行き、共にゴールしたいはずである。彼の足取りに現状の自分を乗り越える覚悟を感じた。そんな光景を目の前にしてワシはあることに思い当たり、はっとした。一年前、ワシはわざわざこの大会のスタート地点に立ち、自分自身に挑戦状を叩きつけた。そんな芝居がかった真似までしたのは何のためであったのか。表面的には、しまなみ海道での忘れ物、18時間台完歩を果たす決意を固めるためであった。しかしその実は、リベンジの舞台で心が折れそうになっているとき、そんな自分を支えるためではなかったのか。一年前のワシもハッキリとそのように自覚していたわけではない。だが、今はそう確信していた。ワシは覚悟を決めて、折れそうになっているワシ自身を乗り越えなくてはならない。
(痛いやろうな…)
ワシは学生たちに心の中でエールを送り、彼らを抜いて行った。脚の痛みとは裏腹に、その表情はスッキリと晴れ渡っていた。
18時間台完歩、午前7時過ぎまでにゴールする。そう決めてからは全力で歩き進めていた。ペースはスタート地点から第一チェックポイントまでの区間のそれよりも速い。おそらく北九州(きたきゅうしゅう)50キロウォークの時の速いペースに近いのではないかと感じていた。脚の痛みや違和感がなくなっているわけではないが、我慢できる程度にはなっていた。アドレナリンが分泌(ぶんぴつ)されて脳に届き、痛みを抑えるような他の神経伝達物質も分泌されているのであろう。ここまでの道中でワシを抜いて行った覚えのある人達をどんどん抜き返して来ていた。残りの行程は10キロを切っていると思われるが、このペースで最後まで脚がもつ自信はなかった。しかしペースを落とせば、二度と今のペースに戻せないことは直感的に分かっていた。行けるところまで行くしかない。別府(べっぷ)湾を覆う空では夜が溶け始めていた。少しずつワシを包む暗闇が白色に薄められていく。夜明けが忍び寄って来ている。身体に無理を強いているが、何とかそのまま順調に進んで行きたかった。特に問題が起きなければ、午前7時過ぎまでにゴールできる感触はあった。しかし何の因果か、ワシはこういうときに得てして問題が起きる巡り合わせとなっている。お腹の調子がおかしくなってきたのである。赤松(あかまつ)峠を越えたあたりから何度か気になる症状を自覚していた。しかし少し様子を見ていると落ち着いていたので、特に気にしていなかった。しまなみ海道ウルトラウォーキングのときも同様な症状が出たが、最終的には何の問題にもならなかったので、高(たか)をくくっていた。しかし今度の症状はのっぴきならないもののように思えた。このままいくと、脚より先に肛門がもたなくなる可能性が濃厚である。万一のことがあれば、18時間台完歩どころの騒ぎではない。しまなみ海道での忘れ物を取りに来て、取り返しのつかない伝説を残すことになる。何をおいても沿道のコンビニか仮設トイレを見つけなくてはならない。唇と肛門をキュッと結び、歩き進んで行く。祈るような気持ちでしばらく行くと、行橋・別府100キロウォークの運営者が設置したと思われる仮設トイレがあった。ワシの運命の女神様は悪戯(いたずら)好きだが、決して見捨てたりはしないのである。有難いような、有難くないような話ではあるが、とりあえずは良し、とするしかない。この上、トイレットペーパーがないというオチだけは勘弁して欲しい、と願いながら、ワシはトイレに歩み寄って行った。
対岸にある町の灯が瞬(またた)いている。その奥の山の端(は)から曙(あけぼの)色が広がり始めていた。その上から延びる水色が未明の瑠璃(るり)色に染み入って、天空に青のグラデーションを作っている。ピンチを切り抜けたワシはコースに復帰していた。トイレ休憩はそれほど長い時間ではなかったが、座って休んだ形になったため、脚の動きが悪くなっている。そうなる具体的なメカニズムは分からないが、これまでにも何度か体験していたことでもあった。一気に無理が祟(たた)ったかのようである。アドレナリン等の神経伝達物質によって抑えられていた痛みや疲労もその存在感を増している。とはいえ、今更泣き言に身を沈めるつもりはない。トイレ休憩前のペースに戻すことは無理であったが、最初の区間くらいの歩きはできそうである。ゴールまでのこすところ、7~8キロくらいであろうか。後はできる限りのペースを維持して、ゴールを目指すのみであった。前方に目を向けると、白ゼッケンの男性がしっかりとした足取りで歩いていた。ワシと同じようなペースで進んでいる。ペース維持の目安として彼に遅れないように歩くことにした。左手に広がる別府(べっぷ)湾が少しずつ光を蓄え始めている。しまなみ海道では同じ時間帯に岸壁で寝転がって、少しでも体力を回復させようとしていた。二度と100キロウォークなどしようと思わないために何としても完歩するつもりでいたのである。一度でも100キロを歩き切ったという事実が残れば、以後100キロを歩こうなどと血迷ったことを企てることもないであろう、と考えていたのであった。ウルトラの世界はもうたくさんである。そんなことを考えながら、目を閉じていた。そんなワシが一年後、日の出前の別府(べっぷ)湾を望みながら歩き続けている。思慮分別のある大人とは思えない。こんなことをして何が面白いのか、これまでにも何度となく考えることがあったが、ずっと確たる答えを見出せずにいた。ただ先程から考え始めて、一つだけハッキリ分かることがあった。100キロウォークの道中でそのようなことを考えても、100キロウォークの魅力など分かろうはずもない、ということである。傍(はた)からは元気に歩いているように見えるであろうが、ワシの身体は既にボロボロの状態であった。そんな状態で100キロウォークの魅力を語ることのできる者がいるならば、その者には特異な自虐(じぎゃく)的趣味(しゅみ)嗜好(しこう)があるとしか思えない、ということになろう。普通の人であるワシが、100キロウォークの一般的な魅力を探るには不適格なTPOなのである。つまるところ、今においては詮無(せんな)い思考であることに思い至り、別府湾に向けていた視線を通りに戻すのであった。