ツギハギ歩き旅・番外編1
~しまなみ海道ウルトラウォーキング①~
旅立ちはいつも懐かしい。車輪とレールの奏(かな)でる単調なリズム音が、聴覚をやんわりと包む。車窓に流れる見慣れた風景に様々な日常の生活が去来する。そこは既に郷愁(きょうしゅう)の地となっているのである。現実と心象の狭間(はざま)にある風景を眺めながら、ワシは非日常のトンネルを抜けて行った。
ワシは歩き旅をしている。一回の旅の終点を駅に設定し、後日、その駅まで電車で移動して次回の旅のスタート地点にする。そこから再び次の終着点の駅まで歩いて旅をする。これを繰り返すことにより、遠い知らない場所をつなげて歩くのである。つまりはツギハギの歩き旅である。
下関の自宅からスタートして、既に九州を一周。現在は本州一周を目指して、かなり断続的ではあるが、歩き旅を続けている。山陰方面は城崎(きのさき)温泉(おんせん)駅、山陽方面は岡山駅まで到達しているのであるが、それ以降は旅に出られない状況が続いていた。コロナ禍という社会的障害と、いくつかのプライベートな事情が旅立ちを許さなかったのである。ワシにとって歩き旅はライフワークとも言えるものなので、慌てる必要はない。しかしコロナ禍という障害が一応収束(しゅうそく)している現状である。大好きな旅に出たい、との思いが募(つの)るのは人情であろう。しかしながら、ワシの前には依然としてプライベートな事情、とりわけ時間と懐(ふところ)に関する事情が立ちはだかっていた。それらの事情を厚めのオブラートで包み込み、ワシに旅立ちの決意を促してくれるきっかけを探していた。そんな時にウォーキングイベントのウェブ記事を目にしたのである。
しまなみ海道(かいどう)ウルトラウォーキング―海上に点在するいくつかの島とそれらを結ぶ吊り橋を歩いて瀬戸内海(せとないかい)を渡るというイベントである。100キロコースと75キロコースの二種目がある。午後に広島県の尾道(おのみち)をスタートし、夜通し歩いてゴールとなる愛媛県の今治(いまばり)城(じょう)を目指す。下関(しものせき)から尾道への移動は、新幹線を使えば3時間もかからない。午後スタートであれば、当日移動で夜通し歩いて、翌日そのまま帰途につくことができる。0泊2日、宿泊費は浮くし、旅の期間も日帰りに毛が生えた程度のものである。イベント参加費はかかるが、ウォーキングコースに設けられるエイド等での飲食物の支給を上手に利用すれば、飲食費も節約できる。新幹線のチケットも早割サービスを活用することが可能であった。そして何よりも、ワシの四国ツギハギ歩き旅の第一歩に相応(ふさわ)しいイベントだと感じたのである。久しぶりの歩き旅に向けて、ワシの心は躍動(やくどう)した。
在来線から乗り換えた新幹線は、「ハローキティ新幹線」であった。車体から車内に至るまで、長年にわたり多くの女子に愛され続けているファンシーなキャラクター、ハローキティが描かれている。おおよそ、齢(よわい)半世紀を超えたワシの旅に組み込まれるべきアイテムではない。しかし、この新幹線に乗車することになったのには理由があった。しまなみ海道(かいどう)ウルトラウォーキングのスタート地点は、尾道(おのみち)から渡船で5分程度の場所にある向島(むかいしま)にあった。しまなみ海道の本州の尾道から向島までの区間は、このイベントへの参加では歩いてつなげることができない。これではツギハギ歩き旅の趣向(しゅこう)にもとることになる。従って、尾道駅からスタート地点である尾道市民センターむかいしままでの約6キロの区間を、スタート前に歩いてつないでおく必要があった。イベント参加の受付開始時間が午前10時半、約6キロの徒歩移動に要する時間を1時間前後と見積もって、当日の午前9時半位に尾道駅に降り立てる移動行程を組んだ。その結果が「ハローキティ新幹線」だったのである。ワシが参加する、しまなみ海道ウルトラウォーキングの種目は100キロコース。加えて6キロの自主ウオームアップウォーキング。期待と不安に揺らめくワシを、見つめるキティちゃんの眼差(まなざ)しは柔らかかった。
降り立った尾道駅前は澄んだ陽光があふれかけていた。自宅を出る頃は曇り気味のお天気だったのであるが、新幹線で広島に入った頃から晴れ間が広がり始めていた。シルバーウイーク初日の土曜日であるが、今のところ大した人出はない。グーグルマップで市民センターへの道程を確認して、海岸沿いの通りへ向かう。柔らかい光に照らされ始めた通りには、途切れ途切れに背の低いビルが立ち並んでいる。9月になっても夏の猛暑は依然として居座っていたが、寝起きからまだグズグズしている太陽のおかげで空気は心地よい。久しぶりの歩き旅へ臨(のぞ)む高揚感(こうようかん)と相(あい)まって足取りはどんどん軽くなる。時折スマホのマップを確認して、前のめりになっているワシの足取りを宥(なだ)める。そこはかとなくレトロをまとう尾道(おのみち)の雰囲気も味わいながら、海岸通りを進んで行った。微動している海面の向こうには、向島(むかいしま)が見える。たゆたう朝の空気に接岸した漁船が微かに揺れる。
(気持ちのええ朝じゃのぉ)
通りは見通しの良い直線道路に入っていた。神社と思(おぼ)しき建物とバス停の標識柱(ひょうしきちゅう)のようなものが見えてきている。人通りも、ほとんどない。スマホにマップを表示して尾道(おのみち)大橋(おおはし)までの道程を改めて確認しながら歩を進める。マップのGPS機能が自身の現在地の移り変わりをマップ上に反映させる。進んでいる経路に間違いがないことを確認できた。安心してマップを閉じようとしていると、先程見えていたバス停の標識柱が周辺視野をかすめていった。その時である。ぐしゃっと軟らかいものを踏み潰(つぶ)した感覚が靴底から伝わってきた。少しの間をおいて、ある種の臭い物質が鼻腔(びくう)に到達する。どんな悲劇がワシを襲ったのか、一瞬で理解した。振り返りたくもなければ、その必要もない。ただ、自身の被害状況は確認しなければならない。悲劇の現場から数メートル離れた後、右の靴裏を確認した。足部の真ん中を薄い黄褐色(おうかっしょく)が、靴底の3分の1くらいの幅で帯状に横断している。踏み方としてはストライクである。尾道駅を出発して、どれだけの歩みを重ねて来たのであろうか。無意識に重ねて来たその歩みの一歩が、異物をストライクで踏み潰す…奇跡である。好事(こうじ)魔(ま)多し、新たな旅に前のめりになっていたワシの気持ちは、そのまま膝から崩れ落ちたのであった。
尾道大橋出入口に入り、曲がりくねった坂道を上りながら、ワシは自らの遭遇(そうぐう)した悲劇について考えた。ワシが歩いていたのはバス通りにある歩道の中央部であった。お昼あたりになれば、相応の人出がある場所であろう。しかも悲劇の直前に認知した光景からすると、現場はバス停だったのである。裏路地、百歩譲って単なる歩道の端っこであればまだしも、バス停のある歩道の真ん中なのである。通常であれば、異物が放置される可能性を想定すべき場所ではない。従って今回の危険に対する予知を欠いたとしても、それ程の非難に値するとは思えない。確かに、ワシに落ち度はあった。重大な事件や事故に巻き込まれるような可能性の問題を考えれば、「ながらスマホ」による悲劇が先のような事態で済んで幸いであった、とも考え得る。極論を言えば、そうなる。しかしながら、車の往来も、人通りも僅(わず)かな朝の時間帯に市街地の歩道を歩いていただけなのである。リアリティの希薄(きはく)な極論を以って自らを慰(なぐさ)め、悲劇を飲み込んでしてしまえるほど出来た大人ではない。しかも、この日に履いていたシューズは今回のイベントのために購入したものであった。足に馴染(なじ)ませるために何度か使用してはいたが、外観は新品同様の状態であった。それが本番当日の朝にあのような災難に見舞われたのである。たとえ齢(よわい)半世紀を超えたワシであっても、断じて出来た大人にはなれない。昨今の野良犬事情等を考慮すると、あのようなトラップを仕掛けたのは間違いなく人であろう。歩道の真ん中にあのような状態を創り出しておいて、そんなことになるとは思わなかった、とは言わせない。ワシがこの国の独裁者であったなら、秘密警察や科学捜査を駆使(くし)して犯人を割り出し、裁判でその背徳的人間性形成の謎を暴き、市中引き回しの上、シューズ洗浄の刑に処するところである。あれこれと思いを巡らせても、悔恨(かいこん)と腹立ちに折り合いをつけることはできなかった。虚(むな)しい回顧の果てに入り込んだ妄想(もうそう)の世界にも、足元からの臭いが漂っていた。