ツギハギ歩き旅・番外編1
~しまなみ海道ウルトラウォーキング⑤~
多々(たた)羅(ら)大橋(おおはし)入口に入った。第二エイド出発時に装着したヘッドライトを点灯し、夜の帳(とばり)が下りた坂道を粛々(しゅくしゅく)と上っていく。脚の状態は、ゆっくりと歩きさえすれば、痛みは出ない程度に維持できていた。ゆっくり柔らかく足を地面に着地させることを心がけながら、うねった坂道を上り進める。橋の袂(たもと)にある自転車道料金所を抜けると、少し離れた前方にウォーキング参加者達の姿が認められた。夜間の安全確保のためザックにつけられたバックライトが点滅している。日中であれば、橋上(きょうじょう)から眼下の瀬戸内海(せとないかい)を一望できるところであろうが、夜の闇が景観を遮(さえぎ)っていた。一般的には残念なことと思われるが、高い所が苦手なワシには僥倖(ぎょうこう)である。多々(たた)羅(ら)大橋(おおはし)は広島県と愛媛県の県境に位置している。その歩道の途中には両県の分岐点が表記されていた。車移動では見ることのできない表記である。とりあえずスマホに画像を収めておく。海上の吊り橋であるが、大した風もなく昼間の熱気がまだ居残っている。快適な夜間歩行は望めそうもない。もっとも、意識のほとんどは脚の状態に向けられているので、蒸し暑さを気にする気持ちの余裕などなかった。ただ、他に体調を悪化させる可能性のあることには留意(りゅうい)しておかなくてはならない。水分補給とミネラル補給には十分に気を配りながら、第三エイドを目指して歩き進んで行った。
多々(たた)羅(ら)大橋(おおはし)から大三島(おおみしま)へ下り、100キロコースと75キロコースの分岐点に辿(たど)り着いた。100キロコースはこの分岐を左へ進み、大三島の下半分くらいの外周(がいしゅう)を迂回(うかい)して歩くのである。今更ながら考えてみると、ワシはツギハギ歩き旅をしたかっただけである。しまなみ海道(かいどう)を普通に歩いて、尾道(おのみち)から今治(いまばり)までのルートをつなげるだけで良かったのであった。つまり、75キロコースで十分だったのである。しかるに、ワシは100キロコースに参加している。楽しい計画を考えていると、未来の自分に対する冷静な思いやりを失うことがある。身(み)の丈(たけ)に合った計画よりも、実現したい計画を優先してしまう。調子に乗り易い人間によく見られる傾向である。100キロという未知の距離を踏破(とうは)する自分、その計画時の希望を実行するのは未来の自分である。言うは易(やす)く行うは難(かた)し。これまでにも、ワシは幾度(いくど)となく過去のワシを呪いながら歩いたことがあった。分かっていながら同じ轍(てつ)を踏む。つくづく難儀(なんぎ)な人間である。ひとしきり不毛な思考を巡(めぐ)らせてはみたが、脚の現状では75キロでもリタイヤの危機は変わらない。大きくため息をついて、ワシは迂回(うかい)路へ身を投じた。
迂回路はどうやら山道のようであった。最初の内は民家の灯もあり、一応、市街地らしい街並みが窺(うかが)えた。しかし海沿いの通りを離れてしばらくすると、山道の単調な景色が続くようになった。舗装(ほそう)されている歩道は、雑草が生えたり、枯葉が散らばっていたりして少々荒れ気味である。路面で蠢(うごめ)く虫をヘッドライトが照らし出す。周囲の木々の奥に続く闇には、そこから野生動物が飛び出してきそうな雰囲気が漂う。さすがにいい大人がお化けの出現までは危惧(きぐ)しなかったが、夜の山道に独りぼっちというのは、何とも心もとないものである。仮に、その場に猪が飛び出してきたとしよう。ワシも猪もファイト・オア・フライトの選択を迫られる。猪がフライト、即ち逃走を選んでくれれば何の問題もない。ワシは狩りにやってきたのではない。ワシが猪とのファイト、即ち闘争を選択することはないのであるから、山の平和は維持される。問題は猪がファイトを選んだ場合である。猪の方が人より速い。走ってフライトは無理である。高所等への避難が望まれるが、ワシの脚の現状では間に合わないであろう。猪がファイトなら、ワシもファイトしかない。しかしワシは「空手バカ一代」ではないのである。素手で猪を倒せる可能性は限りなくゼロに近い。焼け石に水であっても良い。おまじない代わりのボールペンをポケットに忍ばせて峠を目指すワシであった。
峠を越えて山道を下って行くと、やがて集落が現れた。暗い山道から解放され、緊張が緩む。通りには道の駅や商業施設が点在する。日中であれば、それなりの賑(にぎ)わいがあるのであろうが、今は車の通りもほとんどなく静まり返っていた。灯の少ない夜の町は、フィルムのネガに収められた風景のような趣(おもむき)がある。第二エイドの係員さんから第三エイドまでの距離は10キロと聞いていた。そろそろ着いても良い頃ではないか、と思い始めていると、第三エイドであるコンビニの敷地(しきち)が見えてきた。10キロ程度の行程をゆっくりと歩いて来たので、脚の状態は前の休憩時よりはマシであった。エイドに着くと、先ず通過チェックを受け、次いで水の補充をする。そしてその場にいた係員さんに第四エイドについて尋(たず)ねた。第四エイドもコンビニの敷地に設置してあるとのことであった。
「30キロ先ですから、トイレには行かれておいた方が良いかも知れませんよ」
聞き間違いではなかった。途中にトイレを借りられる施設はあるが、それもかなり先の場所であるらしい。10キロ間隔(かんかく)のエイドと30キロ間隔のエイド、もう少しバランスを取れなかったものか。トイレについては特に問題ない。ここで用を足して行けば、第四エイドまでは大丈夫であろう。問題は距離である。ワシは脚の状態と相談しながら、各エイドでリタイヤするか、否かの判断をすることにしていた。イベントの参加(さんか)要綱(ようこう)に、リタイヤの申し出はエイドでお願いしたい旨の記載があったからである。もちろん、止むを得ない場合にはコース途中でのリタイヤも可能で、その場合には運営者がピックアップの車を出すことになっていた。しかし、運営者はいろんな参加者の様々な事態に対応しなければならない。そんな立場にある者に余計な負担をかけることは憚(はばか)られた。敷地の隅に広げられているブルーシートに座り、脚のメンテナンスをしながら考える。現時点でこなした行程は42キロ、ほぼフルマラソンの距離である。ランナーは走って42キロ、ワシはただ歩いて42キロである。過酷(かこく)といえるようなものではない。この距離でのリタイヤでは、それに至った同情すべき事情、つまり上手い言い訳の案が浮かんでこない。先の移動が10キロであったことで、脚の状態はゆっくり歩ける程度には維持されている。しかし、次のエイドは30キロ先である。脚に不調を抱えたまま30キロ先のエイドまで歩くことには、かなりのプレッシャーを覚えた。何時間も歩き続けて、やっと届く距離なのである。楽観的にはなれない。では翻(ひるがえ)って考えてみよう。30キロ先のエイドに到達したとする。到達点は72キロ地点である。75キロコースであれば完歩したも同然の距離である。そうなれば、「勇気ある撤退(てったい)」的なリタイヤ話の言い訳感に、多少なりとも説得力のオブラートをまとわせることもできよう。運営者に負担をかけることなく、歩く旅人の面目も保たれる。幸いにも、脚の状態の悪化はない。第二エイドからここまでの10キロを歩いた感じからすると、ゆっくり歩きさえすれば、30キロの道程を乗り切ることが土台無理ということもない。ここでしっかり休息を取り、次のエイドに向かう。ワシはブルーシートに寝転がり、しばし夜空をみつめていた。