ツギハギ歩き旅日記・番外編1~しまなみ海道ウルトラウォーキング⑥

歩き旅・番外編

ツギハギ歩き旅・番外編1

~しまなみ海道ウルトラウォーキング⑥~

瀬戸(せと)の内海(うちうみ)が穏やかな寝息を立てている側で、ワシは道のうねりに翻弄(ほんろう)されていた。上り坂は問題ないのであるが、下り坂は気をつけて足を運ばないと脚に衝撃が走る。第四エイドまでの30キロは起伏の多いコースとなっていた。ゆっくり上って、よりゆっくり下る。歩調に気を配りながらの漸進(ぜんしん)が続く。夜の闇のフィルムに覆われて、海も山も人里も影として存在していた。モノクロの単調な風景が時空の変化を感じさせない。ヘッドライトが確保する視界は暗視ゴーグルのそれのように感じられた。停滞感(ていたいかん)と閉塞感(へいそくかん)で気持ちが疲労していくのが分かる。自分の中で不協(ふきょう)和音(わおん)がこだましていた。体内の具体的などこかが悪いというわけではない。もうこれ以上その場に居たくないと思わせるような感覚であった。うずくまっている人、座り込んでいる人、街灯の白やオレンジの光、そしてまた続く闇、通り過ぎて行った光景がランダムにフラッシュバックしてくる。嫌な夢の中にずっといるような心持ちであった。閉ざされた風景の中で心身がどんどん擦り減っていく。そんな中、途方に暮れて動けなくなりそうなワシを支えたのは、ツギハギ歩き旅での経験であった。

初めて泊りがけで歩き旅をしたときのことである。希望に満ちた計画が無謀な計画であったことに気づかされたのは、宵闇(よいやみ)の道中であった。当日の宿泊地はまだまだ遠く、脚の状態も芳(かんば)しくなかった。ウォーキングイベントに参加しているのであれば、リタイヤも可能であろうし、何らかの救援手段も用意されているであろう。しかし、趣味で気ままに長距離の歩き旅を計画・実行している者には、そのような環境は整えられていない。リタイヤはその場での野宿を意味していた。季節によっては行き倒れになることもあり得る事態である。つまり退路はない。何としても前に進むしかなかった。意識を自分の内へ向け、己の殻(から)に閉じこもる。そうして目の前の辛い空間をやり過ごしていく。瞑想(めいそう)するように歩いていると、不思議と心が収まってきた。心が落ち着けば、気持ちも前に向いて行く。こうしてワシは前へ進むモチベーションをつなぎ、苦しい道中を乗り切ったのであった。

今回のワシはウォーキングイベントに参加している。リタイヤも、運営者の救援を受けることも可能である。しかしエイドでのリタイヤが原則とされ、自身も思うところあって、エイド以外の場所でリタイヤはしないと決めていた。こうした条件の下で、第三エイドを出発して30キロ先の第四エイドを目指す、という決断をしたのである。この流れを覆(くつがえ)すような行動の選択は、あり得ない。つまりあのときと同様、退路はない。ワシは余計なことは考えず、内観(ないかん)するように自分というものに意識を集中した。ワシは意識のトンネル中を歩き始める。ぼんやりとした現実の時空が、ゆっくりと過ぎていく。不調を抱えたワシの足取りは変わらなかったが、心の平穏は取り戻していた。こうして途切れかけていたモチベーションをつなぎ止め、夜に包まれたコースを着実に歩き進んで行った。

意識のトンネルを進み出してからしばらくすると、ワシが進む歩道とは反対にある路肩(ろかた)の広くなっている場所に、数人の参加者が腰を下ろしているのが目に入ってきた。グループで参加している人たちが休憩しているのであろう。その向かいを通り過ぎようとしていると、一台の大きなワゴン車がグループの座る路肩に横付けされた。ワシがそこの様子を窺(うかが)うように歩を進めていると、ワゴン車を降りた運転手の案内に従って参加者たちが乗車し始めた。リタイヤ者をピックアップするワゴン車がやって来ていたのである。なかったはずの退路の扉が開かれている。リタイヤを即断(そくだん)すれば、即座に難儀(なんぎ)から解放される。しかも他人のリタイヤに便乗するのであるから、ワシが運営者に余分な負担を直接かけたことにはならない。平穏を取り戻していた心にさざ波が立つ。しかしながら、リタイヤを即断するには検討すべきことが多過ぎた。ほどなく退路の扉は閉ざされ、ワゴン車はワシの横を通り過ぎて行ったのであった。このタイミングでその光景を目撃させられる巡り合わせといい、朝の残念な出来事といい、運命の女神様がワシに微笑みかけるつもりがないことだけは確かであった。

大三島(おおみしま)橋(ばし)から伯方(はかた)島(じま)の一般道へ下る。大三島の迂回(うかい)路(ろ)で幾度(いくど)となく峠道を下った脚には、けっこうなダメージが蓄積されていた。下り坂を慎重に進む。暗闇にある七曲りの小径(こみち)を歩いていると、どんな方向に向かっているのか、分からなくなってくる。迂回(うかい)路の道程を終えて75キロのコースに合流してからは、コース上に参加者の姿が散見(さんけん)されるようになっていた。そのバックランプを見て、コースに間違いがないことに安堵(あんど)する。伯方島に入ってしまえば、第四エイドまでの距離はそれほど残っていないはずであった。気持ちは逸(はや)るが、それに応えられる脚の状態ではない。これまでのペースを守りながら、着実に歩を進める。夜更けの町はすっかり眠りについていた。車の通行もない。静まり返った通りを進みながら、第四エイド以降のことを考えた。第三エイドからここまで、コースにはアップダウンの激しい迂回路が含まれていた。その道程を30キロ近く歩けたことは、紛(まぎ)れもない事実である。そして第四エイドからゴール地点までの距離は28キロ程度である。その途中には第五エイドも設置されている。またゴール手前の何キロかは今治(いまばり)の市街地であるので、コース状況も迂回路のような厳しさはないものと思われる。第四エイドで十分なメンテナンスと休息をすれば、完歩できるだけのコンディションは維持できるように思われた。これまで通りにゆっくりのペースで歩けば、問題なく歩いて行けるはずである。身体に問題を抱えて以降はリタイヤに対するチンケな意地で道をつないできた。そうして意地に見合わぬ過大な労力でここまでこぎ着けて来たのである。乗り越えたものを簡単に放棄したくもなかった。残り28キロ、100キロ完歩は射程圏内である。それを乗り越えれば、100キロ踏破(とうは)という未知の世界へ到達できる。未知が既知となれば、好奇心がワシを再びウルトラの世界へ誘(いざな)うおそれも少ないと思われる。後日の禍根(かこん)はできるだけ断っておかなければならない。最後は這(は)ってでもゴールする覚悟を決めた。全てが吹っ切れたワシの眼には第四エイドの灯が揺れていた。

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