ツギハギ歩き旅・番外編1
~しまなみ海道ウルトラウォーキング⑦~
伯方(はかた)島(じま)・大島(おおしま)橋(ばし)を渡り、来島(くるしま)海峡(かいきょう)大橋(おおはし)を目指して歩く。海沿いの通りはほの暗かった。そんな場所を歩いているタイミングでヘッドライトのバッテリーが切れた。ネット上ではフル充電で12時間連続使用可能とうたわれていたものであるが、フル充電状態から使用し始めてまだ8時間程度しか経っていない。昨日からの巡り合わせを思えば、よく頑張ってくれたと考えるべきなのかも知れない。ザックから予備に持っていたハンドライトを取り出し、リスタートする。風景は相(あい)も変わらず影の世界へ溶け込んでいる。視界を流れる単調な空間に脳が飽きてしまっていた。倦怠感(けんたいかん)が自らを取り巻く空気を重くする。歩くこと自体が嫌になりかけている。しかし完歩すると決めた以上、歩き続けるしかない。カーブを曲がる度に風景にツッコミを入れてみる。
(また同じやないかーい⁉)
繰り返される愚行(ぐこう)、期待外れの効果、深夜のテンションが救いになることはなかった。得てして、こうした流れに沿って残念な事態がやってくる。ハンドライトの光量が落ちてきたのである。光量の調整ボタンを操作しても変化はない。充電は十分に行っていたはずである。しかし光量の落ち方を見ていると、バッテリー切れがそう遠くないように思われた。夜明けはまだ遠い。後数時間バッテリーがもってくれることを祈るしかない。不安感と入れ替わるようにして、倦怠感(けんたいかん)は何処(どこ)へともなく去ってしまっていた。
暗い内陸の山道をハンドライトのバッテリー切れの不安と共に進んで行く。足元をぼんやりと照らすその光は風前(ふうぜん)の灯火(ともしび)といった感がある。夜明けまでもつようには思えない。どうしたものか、と思案しながら歩いていると、前方に人影が見えてきた。影の感じから、ワシよりはかなり若い男性であると思われた。その人の前方を照らしている光の動きを見る限り、しっかりした足取りで歩いているようである。ただ疲労が出ているのか、ワシよりいくらか緩(ゆる)やかなペースで進んでいる。そんな彼を目の前にして、ワシは少々不謹慎(ふきんしん)なことをひらめいてしまった。先ずは彼の後方数メートルのところまで追いつく。そして彼の歩調に合わせて、つかず離れずの状態で歩く。そうして彼の照らす光を利用して進めば、ワシはハンドライトをオフにして温存しておくことができるのである。もの凄(すご)くしみったれたアイディアではあったが、背に腹は代えられない。即採用して、彼にゆっくりと追いつく。そっとハンドライトをオフにして歩き続けた。ワシの一方的な意思により、野郎二人が光で結ばれた。光の二人三脚で夜明け前の暗闇の中を歩き進んで行く。息遣いは聴こえないが、足音は認知できる程度の間を保ったまま進んで行く。しばらくすると、彼がチラッと首を捻(ひね)って後方を確認するような仕草(しぐさ)を見せたが、歩調、その他の様子も変えることなく歩き続けている。この状態を受け入れてくれたものと理解する。実際は疲れていて、ワシの存在などどうでも良いだけなのであろうが、他人のふんどしで相撲を取っている身としては、相手の同意を積極的なものとして理解したい。旅は道連れ、世は情けである。黙々と進む二人の道連れウォーキングは、薄明(はくめい)まで続くのであった。
内陸の山道から市街地に入ろうとする頃には、空が深い藍(あい)色(いろ)に塗(ぬ)り替えられ始めていた。この調子で進めば、日の出頃には第五エイドに到着できるのではないか、と思われた。脚は可もなく不可もなく、といった状態であった。ゆっくりのペースを守れば、問題なく歩いて行けた。夜通し歩いていたのであるが、眠気はない。晩酌(ばんしゃく)をしてから寝る習慣がついているので、一杯やらないと眠気を感じなくなっている。睡眠障害を自慢するつもりはないが、徹夜歩行のようなレアケースでは役に立った。また前日の朝食以降、固形物は全く口にしていなかったが、空腹感もない。未(いま)だ飽食(ほうしょく)の時代である。一日くらい食べなくても大丈夫なエネルギーは、いつも身体に貯まっていよう。さすがに疲労感は隠し切れなくなっているが、これはエイドでの休息と持ち合わせの少ない根性で乗り切るしかないであろう。そんなことを考えていると、内陸の山道を共に歩き続けた相棒が、道路沿いのコンビニに入って行ってしまった。今更ワシを振り切るための行動を取ったとは思えない。しかしワシが勝手に始めた道連れウォーキングである。同じタイミングでコンビニに入るのは何となく憚(はばか)られた。かといって、コンビニの外で待つという選択はあり得ない。見ず知らずのオッサンによる出待ちなど、あらぬ誤解を招く可能性しかない。夜明けも近づいている。もうライトの心配も必要なくなるであろう。心で手を合わせて感謝しながら、長らく続いた道連れを解消する。白味を増した空が街を影から解放し始めていた。
第五エイドの奥にある岸壁に転がって空を見上げる。日の出を迎えようとしている。空の水色が少しずつ光を帯びてきた。今日もよく晴れそうである。よく晴れるということは、日が高くなるにつれて気温も上がる。つまり第五エイドを出るのが遅くなればなるほど、ゴール前の道程が暑さで厳しいものとなる。そうなると熱中症のリスクが上昇する。また、熱中症とまではいかなくても、暑さは確実に体力を奪う。身体に何らかの異変が起こるリスクも十分に考えられた。這(は)ってでも完歩する覚悟は決めていたが、それは飽(あ)くまでも比喩(ひゆ)であり、本当に這うつもりはない。しかし一方で、ここでの休息をないがしろにすれば、暑さによるリスクに劣らぬリスクも考え得る。右前方には連綿(れんめん)と続く来島(くるしま)海峡(かいきょう)大橋(おおはし)が延びている。三つの吊り橋からなる大橋は全長が4キロ以上もある。そこを渡り切れば、ゴールまでの距離が一桁(ひとけた)となる。あの高さを4キロも歩くのはぞっとしないが、仕方がない。泳ぐよりはマシである。先ずは休まなければならない。海からの微かな空気の流れを感じながら、ワシはゆっくり目を閉じた。