ツギハギ歩き旅・番外編2
~行橋・別府100キロウォーク④~
ここが立石(たていし)峠(とうげ)へ向かう坂道であることに漸(ようや)く気がついた。第二チェックポイントを出て直ぐに緩い上り坂が始まったのであるが、当初は単なる田舎道の上り坂だと思っていた。沿道には農耕地や民家、店舗等もあり、坂の勾配(こうばい)もワシの知る峠へ向かう山道のそれとは異なっていた。緩やかなアップダウンのある通りを進んで行って町を抜けた先に、山道があるものだと想像していたのである。しかし上れど上れど、緩やかな上り坂が続く。何かおかしい、と思いながら上り続ける。すると少しずつ周囲の風景と坂の勾配(こうばい)が峠へと続く山道らしくなっていった。どうやら峠越えが始まっていたようである。第二チェックポイントを出てからずっと上り坂であったため、峠越えの始まりが曖昧(あいまい)な状況であった。その結果、気づいたら峠越えに突入していたという事態になったものと思われた。ずっと前から参加したかったイベントの名物で、コースの難関でもある峠越えである。通常であれば、それに臨(のぞ)むにあたって何らかの感慨もあったであろう。何となく拍子(ひょうし)抜(ぬ)けした気分であった。反面、知らないうちに峠越えの行程が減っていたのであるから、有難(ありがた)いことと言えなくもなかった。損をしたのか、得をしたのか、複雑な気持ちであったが、気を取り直して進むしかない。上り坂を歩いて来たので、身体はだいぶ温(あたた)まってきていたが、まだウィンドブレーカーを脱ぐほどではない。時折、山道の静寂(せいじゃく)を引き裂いてパトカーのサイレン音が響き渡り、辺りの雰囲気をおどろおどろしいものにする。何度となくサイレン音が鳴り響く割にはパトカーの姿は目にしない。サイレンが鳴る度にワシの背筋に僅(わず)かな冷感が走る。離れてはいるが、見える範囲に人気(ひとけ)があるから良いものの、真夜中の山道を歩く者には少々迷惑な演出である。もっとも、文明の進んだこの時代に真夜中の山道を歩いている方がどうかしている、と考える方が一般的であろう。分からないことをあれこれ想像して、ぼやいていても仕方がない。ワシは峠を目指して上り続けて行った(因(ちな)みに、後日調べたところによると、パトカーのサイレン音は、スピード超過等による事故防止のための装置が作動したものである、とのことであった)。
途中で適当な場所に腰掛けて休んでいる人、上り坂に体力を奪われて明らかに失速している人、立ち止まって息を整えている人、立石(たていし)峠(とうげ)が参加者の前に立ちはだかっていた。勾配(こうばい)は厳しくはないのであるが、ダラダラと続く上り坂は体力、気力に少しずつダメージを蓄積させていく。脚の違和感を騙(だま)し騙(だま)し抑えたペースで上っている分、ワシの心身へのダメージは気になるほどのものではなかった。適度なスピードで着実に上り進んで行く。疲れている人達を抜いて行きながら、そろそろ新たな白ゼッケンのペースメーカーを探そう、と考えていた。しかし、今のワシが無理なくついていける程(ほど)良(よ)い白ゼッケン参加者が、なかなか見つからない。そうしているうちに坂を上り詰め、峠を越えて下り坂が始まった。緩やかな坂を脚の状態に気を配りながら下って行く。脚の状態が悪化すると、上り坂より脚への衝撃が大きい下り坂の方が辛くなる。しかし今のところは、そのような感覚はなかった。脚へのダメージを上手くコントロールできているようである。空を見上げると、星座を形作る星達が静かに瞬(またた)いている。辺りの暗さがそれらの清楚(せいそ)な美しさを際立(きわだ)たせる。気温は下がってきているのであろうが、微風(びふう)がある状態でも、峠越えをした身体はやや汗ばみ始めていた。ウィンドブレーカーを脱ぎ、ザックに仕舞(しま)う。もう70キロ程度の行程はこなしていると思われた。ふと、しまなみ海道(かいどう)ウルトラウォーキングのことが思い出された。そこで同じくらいの行程を歩いていた頃、ワシは脚の痛みと疲労で心が折れかけていた。全てを投げ出してしまいたい気持ちであった。目の前だけを見つめて何も考えないようにしていた。そうして辛い現実の空間をやり過ごすことのみに集中する。歩数の積み重ねと時間の経過だけが自らを救う手段であった。自らを救いに導く時空の流れのみを感じながら、モノクロの世界を歩き続けていたのであった。それから約一年の時を経た今、ワシはまた同じような舞台に立っている。しかし心身の状態はあの時より大分(だいぶ)マシであった。若干ではあるが、ウォーカーとして強くなれたのかも知れない。大した練習ではないが、ここまでにやってきたことが、いくらかでも報われたような気がした。微(かす)かに頬(ほお)が緩むのを感じたところで、まだ30キロ程度の行程が残っているという現実が頭を擡(もた)げてきた。ワシは気を引き締め直して山道の夜陰に溶け込んで行った。
コンクリート舗装のやや狭い上り坂が、闇と草木に包まれていた。いくらか進んで行くと勾配がどんどんキツさを増し、道が大きくうねり始めた。音(おと)に聞く七曲(ななまが)り峠である。時代劇であれば、うってつけの追いはぎスポットであろう。前後に他の参加者がいるから良いようなものであるが、夜間の独り歩きは御免こうむりたいものであった。麓(ふもと)に設置されていた休憩所で耳にしたところによると、七曲り峠は立石(たていし)峠のような長い坂ではないが、勾配がキツい、とのことであった。急坂(きゅうはん)に備えて、登り口では七曲り峠専用の竹杖が貸し出されていた。ワシはそれを携(たずさ)えて上って来ていたが、それを使用しなければならないほどではなかった。ただ、かなり急な勾配であることは間違いなく、上りのカーブを曲がる度に少しずつ息が上がっていく。それでも早くキツい上り坂から解放されたい一心で、一つ一つカーブを数えながら力強く上り進めて行った。七つ曲がったら、楽になる。ゴールがはっきりしていると、少しくらい無理をしても頑張れる。峠はもう直ぐである。七つ目のカーブが見えてきた。息も足取りも弾(はず)んだ。勇(いさ)んで最後のカーブを曲がり切る。おかしい。目の前には曲がらない上り坂が延びていた。それもけっこう先の方まで続いている様子である。否、おかしくはない。冷静に考えてみれば、すぐに分かることであった。七つ曲がったら、直ぐに峠などとは誰も言ってはいない。七曲り峠だから、七つ曲がれば済むと信じて疑わない方がよっぽどおかしい。安易な思い込みに従って安易に期待を抱き、膨らんだ期待が弾(はじ)けて心が挫(くじ)ける。そんなバカな自分を呪うしかない。蹲(うずくま)った気持ちを引きずりながら、黙々と坂を上り続けるしかなかった。気持ちと息を宥(なだ)めながら、しばらく進む。すると行く手にある道の両脇で、オレンジ色の光が揺れているのが見えてきた。再び芽生えた期待を抑え切れず、近くに居合わせた白ゼッケンの女性にその光について尋(たず)ねてみた。
「あれは竹(たけ)灯(どう)籠(ろう)の光ですよ。あそこが頂上なんです。何回も参加している者は、あれを見るとホッとするんですよ」
麓(ふもと)の休憩所で耳にしていた通り、七曲り峠の坂は長くはなかった。しかし勾配がキツい分、確実に体力は削(そ)がれる。峠を目の前にしてホッとする気持ちはよく分かった。足元のオレンジの灯火に挟まれて、参加者のヘッドライトの白色が地面を這(は)い、そのバックライトの青紫色が宙を舞う。そんな光景が澄んだ闇の中でアクリル画のように見えていた。
七曲(ななまが)り峠を越えて国道10号線に戻った。しばらく平坦な道が続いた後、緩やかな上り坂になっていった。赤松(あかまつ)峠越えが始まったものと思われる。七曲り峠の下り坂の途中にコースの80キロ地点を示す表示板があった。ゴールまで残すところ20キロを切っていることは間違いなかった。もう一踏ん張りでゴールといったところである。しかしここへ来て、道中の懸念材料であったことがハッキリと身体に現れてきていた。下り坂での脚への衝撃で痛みが出るようになっていたのである。七曲り峠の下りの途中から気になり始め、下り切る頃には歩調を相応に緩めなくてはならない程度にまで悪化していた。これからの峠越えには必ず下り坂があるであろうし、その先にもコースのアップダウンがあることも覚悟しておく必要がある。幸い、下り坂以外では脚に違和感を超える痛みは感知していなかった。下り坂はゆっくりと下り、平坦な道と上り坂では心持ちペースを上げるようにして全体のペースを均(なら)していくことにした。ただ平均してどの程度のペースで進んだら20時間内での完歩ができるのか、体感的にまだハッキリとは分かっていなかった。適当な白ゼッケンのペースメーカーも見つかっていない。自らのペースに対する疑念が、脚の状態悪化につながる焦りを生むことは避けたい。そこでワシは考えた。先ず現状を悪化させないと感じられるペースが、20時間内完歩ペースであると信じる。そしてその感覚への信頼を揺るぎないものとしておくために、スマホで時間の確認をしない。下り坂以外は大丈夫なのであるから、きっと20時間内でゴールに辿(たど)り着けるはずである。要するに、現実逃避と希望的観測とで何とかならないか、ということであった。不甲斐(ふがい)ないことこの上ない対策である。しかしそんな対策を何の臆面(おくめん)もなく採用できるのがワシの真骨頂(しんこっちょう)であろう。「真骨頂」の使い方を確実に誤っていると思われるが、そんなことより大事なのは前へ進むことであった。とりあえず、ワシは緩い坂道を上り進んで行った。
また観光バスがワシを追い抜いて行った。まだ明け方の暗い時間帯である。おおよそ観光バスが行き交うような時間帯ではない。おそらくリタイヤした参加者をゴール地点まで運ぶリタイヤバスであろう。赤松(あかまつ)峠へ向かう途中にも、バス停にリタイヤポイントが設置されていたことを思い出した。そのポイントを通過しながら、通常であれば、ここまで来てリタイヤはあり得ないであろう、と思った。そこでリタイヤとなると、二つの峠越えが徒労に帰すのである。もちろん急な体調の悪化等、色んな事情の変化がある人もいる。実際にそこでリタイヤする人もいるであろう。そうなった場合の無念はいかばかりか、想像もつかない。バスのテールランプを見送りながら、何とはなしにそんなことを考えていた。どこでリタイヤするにせよ、リタイヤした人は、悔いと安堵(あんど)が綯(な)い交(ま)ぜになった心持ちでいることであろう。ただ、挑戦して頑張ったことは揺るぎない事実である。車窓を巡る風景に悔いを流して、前を向いてもらいたい、と思った。その一方で不謹慎ではあるが、バスに乗車している人をうらやむ気持ちも顔を覗(のぞ)かせていた。赤松(あかまつ)峠を越えての下り坂、脚の痛みが増してきていたのである。歩調を緩めて、脚への衝撃緩和を図りながら下って来ていた。ペースを落とし過ぎないようにしているつもりであったが、途中の上りで追い抜いた人に抜き返されてしまう有様であった。とはいえ、抜き返された人は白ゼッケンの参加者であり、前後には何人かの白ゼッケンの参加者も認められた。全く焦る必要はないことを自らに言い聞かせる。次が最後のチェックポイントである。そこからはゴールまで十数キロを残すのみとなる。不調はあっても、普通に動くことができれば、自ずと結果もついてくるはずである。ワシは痛みの少ない歩き方を探りながら、慎重に坂道を下って行った。
チキンスープが温(あった)かかった。第三チェックポイントの日出(ひじ)町保健福祉センターで提供されていたスープを飲んで、人心地(ひとごこち)ついた。簡単な脚のストレッチを始めながら、ゴールまでの残り約13キロについて考える。脚の状態に気を配りながら進めば、無事に完歩できることはほぼ間違いない。問題は20時間内での完歩である。脚に問題がない状態であれば、2時間強でゴール可能な距離である。しかし脚の違和感や痛み、ここまでに蓄積してきた疲労を考えると、ゴール到着まで3時間程度は見込まなくてはならない、と思われた。そして自分が今川(いまがわ)河川敷をスタートした時間から考えると、午前8時過ぎまでにゴールすれば、確実に20時間内完歩を達成できる。スマホで時間を確認すれば、20時間内完歩に対する見通しを立てることもできるであろう。ただ確認の結果が問題であった。現在時刻が午前5時以前であれば、無理なく20時間内完歩が達成可能であり、心身共に余裕を持って第三チェックポイントを出発できる。しかし現在時刻が午前5時を過ぎていた場合、時間に煽(あお)り立てられながらゴールに向かわなくてはならなくなる。超過時間の程度にもよるが、必要以上に心身が疲弊(ひへい)することは間違いないと思われた。赤松(あかまつ)峠からは道中でのメンタルの安定を優先して、時間確認をしないことにした。焦りで時間に追われ、心身が疲弊していくのが嫌だったからである。脚の違和感と痛み、そして疲労が前向きな思考への枷(かせ)となっていた。正直、ここにきて目標など関係なく普通にゴールができれば、それで良い、とさえ思えてきていた。こんな状態であるところに、精神的なプレッシャーが追加されるリスクは避けたい。残り十数キロ、見通し如何(いかん)など関係なく、やることは一つである。現状で可能な限りのペースでゴールを目指す。ただそれだけなのである。そうであるならば、雑念の入る余地をなくして、自分のできることに集中すべきであろう。目標設定時間に間に合うと信じて前へ進む。たとえそれが希望的観測にすぎないようなものであっても、希望を胸にモチベーションをつないで歩き続ける。ウルトラの世界で最後の頼みとなるのは、気持ちなのである。時間確認はしないことに決めた。チェックポイント出発後は、マイペースを信じて、ただひたすらに目標達成へ向かう。意を決して、ワシはチェックポイントの出口へ足を向けた。