九州ツギハギ歩き旅
4.鹿部(ししぶ)駅~博多(はかた)駅
この日、ワシは平日休みであった。
始発電車で地元駅を出発し、小倉(こくら)駅で鹿児島本線に乗り換え、ここ鹿部(ししぶ)駅に降り立った。
朝の時間帯であったが、駅前に気忙しい雰囲気はない。通勤・通学利用のピークは過ぎているのであろう。
駅周辺に広がる閑静な住宅地を歩いて行く。
9月に入ってはいるが、日中の気温は30℃を超えそうな予報となっていた。しかし今のところ、そこまでの気配は感じられない。
良く晴れた朝の空気は少し温もりを帯びて柔らかい。
今日も国道3号線に沿って歩き旅を進めていく。
ゴール地点の博多駅までは15キロくらいの行程である。お昼前には到達できる見通しで、いくぶん気が楽であった。
前回、最初に設定していたゴール地点を一駅先まで延ばした分、今回の旅の余裕がより増していた。
因みに、前回のゴール後に今日の電車移動での乗り換え増加問題が判明していた。
快速電車停車駅にまつわる問題であったが、それは杞憂に終わった。小倉駅で乗り換えた電車が普通電車だったのである。
前回の頑張りがマイナス方向へ報われることもなく、旅のスタートは順風満帆であった。
沿道に並ぶ住宅上空に広がる青空を視界に捉えながら、国道3号線を目指して通りを進んで行った。
国道3号線を歩き進んで行く。
この辺りにはそれほど背の高い建物はない。車道も、歩道も、空も広かった。視界が開けた感覚があって爽快な気分である。脚がどんどん進んで行く感じがする。
歩き旅を始めてからここまで、その道中は楽しさより不安の方が大きかった。
関門トンネル人道を通って九州に入った後、道路標示によりスタート地点から博多までの旅の行程が100キロ近いものであることを知った。
九州を一周しようというのであるから、その先には、その何倍もの道程が待っている。実際に歩いていると、その道程の途方もなさがひしひしと感じられた。
そして歩いて九州一周することに現実感を持てなくなっていった。
博多までの行程ですら、笑えない冗談としか思えなくなっていた。
物理的には可能であるし、ワシ自身が頑張れば良いだけの話である。しかし思うは易いが、行うは難いものである。
自分の弱さは嫌というほど知っているし、見たこともない道中で待ち受けていることは未知数である。
こうした不安を抱えたまま、予想だにしなかった国道の歪な構造に何度となく遭遇したのである。大きな障害とは言えないであろうが、心に抱えていた暗雲を煽るには十分であった。
そんなワシが今日、徒歩で博多駅に到達する。
数回に分けたとはいえ、スタート地点から博多駅までの道中は徒歩だったのである。夢想や冗談としか思えなかったことが現実味を帯びてくる。
九州一周の歩き旅を続けていける、という微かな自信が湧いてきていた。
視界の開けた通りの爽快感で歩き旅の行く末も拓けてきたような心持ちであった。
福岡市に入った。
しばらく進んで行くと、沿道の主役は郊外型の商業施設からマンション等の集合住宅に変わっていった。周辺住民の日常生活空間が広がっている。
熱されてきた午前の光を浴びながら大学の広大な敷地脇の通りを進んで行く。
学生の姿は目につかなかったが、綺麗なキャンパスで充実した大学生活を送る学生達の姿が想像できるような気がした。
昔、山田太一原作・脚本の「ふぞろいの林檎たち」というドラマがあった。当時の大学生活の一端を描いたドラマである。
個性的な登場人物たちの青春グラフィティがサザンオールスターズの主題歌、挿入歌に乗せて描かれていた。
自分が大学生になれたら、どんな青春が待っているのか、と想像を逞しくしたものである。
しかし、後に大学生になったワシのキャンパスライフに、サザンオールスターズのBGMが流れることはなかった。
青春グラフィティとして描かれるようなエピソードとは無縁の日々が流れていくのみであった。
学業に熱中するでもなく、サークル活動や部活動に勤しむでもなく、はたまた合コン等で異性との交遊を深めるでもなかった。
誰の目を気にする必要もない独り暮らしの空間で、やりたいことだけやって、寝食気まま、不規則かつ怠惰な生活を送っていたのである。
こうした自堕落な生活と青春グラフィティが並び立つわけがない。
つまり自ら青春グラフィティを放棄していたようなものであった。それゆえ、特に後悔があるわけではない。ただ許されるのであれば、またあの大学生活のような日々を過ごしてみたいものではある。
(好きなことだけやって、ダラダラしちょきたいのぉ)
<神様、こいつに天罰を…>
例えば、ワシが童話「アリとキリギリス」の世界に転生したとしよう。イソップ先生によるワシのキャスティングはキリギリス一択であろう。
そんな人間には、あの大学生活がこの上なく魅惑的な日々なのである。
そんな埒もないことを考えながら跨線橋を渡っていると、その考えを咎めるように車道と歩道が分離する、お馴染みの光景が見えてきた。
国道3号線の高架脇の歩道を道なりに進んで行くと、広い通りに出た。
そこに架かる歩道橋の道路標示には博多駅の方向を示す矢印が表記されている。
地図で通りの先の状況を確認すると、その通りは3号線に沿う形で伸びていることが分かった。
ホッとした心持ちで3号線の高架下を進んで行く。
沿道にあるマンション等の集合住宅の多さが周辺の人口密度の高さを想像させる。
車道や歩道の幅も広く、行き交う車の交通量もこれまでの比ではない。
そのまましばらく進んで行くと、沿道の空間はマンション、その他のビルで塞がれる状態になっていった。
通りの空はビル等に区切られて広がりを失っていたが、広い車道と歩道のおかげで特に閉塞感はなかった。
ビルには飲食店、クリニック、学習塾等、様々なテナントが入っている。
これだけ沢山のテナントの営業があるということは、ここにそれらを成り立たせるだけの需要があるということである。それだけ多くの人々の生活が営まれているのであろう。
ここ周辺の地域が都市であることを感じさせるに十分な光景であった。
ゴールの博多駅が近づいてくることを実感できたような気がした。自然と歩幅が広がるのを感じながら、ワシは通りを歩き進んだ。
鹿児島本線の鉄道橋を横目に年代物の橋を渡る。
欄干は白い石でできている。名島橋という橋である。古めかしい趣のある橋の佇まいが印象的であった。
後日、ワシはふと思い立って、その橋について調べたことがあった。
橋脚と橋脚の間がアーチ状になっていて、見た目も綺麗である上に耐震性にも優れた構造をしているその橋は、昭和8年竣工ということであった。
つまり、戦争、敗戦、高度経済成長、バブルとその崩壊等、日本の盛衰と共にあって地域を結び、社会の復興、発展を支えてきたということになる。
(ワシが知っとるんは、高度経済成長の終わりくらいからかの)
戦後、経済成長を遂げていった日本の人々は「一億総中流」という意識をもつようになっていた。
生活が豊かになっていく中、「モーレツ社員」に支えられて、どんどん経済成長は進んでいく。そしてついには、その経済力が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と世界的に評価を受けるに至るのである。
そして日本社会はバブル期を迎える。
テレビでは「24時間戦えますか?」という栄養ドリンクCMのキャッチフレーズが流行していて、経済を支える企業戦士は相変わらず勤勉であった。
その一方で社会全体は浮かれきっていた。お祭りで乱痴気騒ぎをしているような雰囲気があった。
「ワンレン・ボディコン」のお姉さんが、「アッシー」「メッシ-」「ミツグ君」を侍らせて、ディスコのお立ち台で踊り狂う。手持ちの羽根付き扇子をヒラヒラ振り、タイトなミニスカートからパンツが見えそうなほどに腰をくねらせる。
当時、そんな世相が流れるニュース映像をワシは絵空事のように眺めていた。
大学を出た後、フリーター生活をしていたワシにバブルはやって来なかった。
その懐事情では「アッシー」「メッシ-」「ミツグ君」になる資格すらなかった。
そのような者になりたかったわけではないので、それはそれで良い。ただ少し複雑な心境ではある。
代わりにバブルの崩壊による転落も味わうことはなかった。
元々、転落先のような場所で暮らしていたのであるから、転落の仕様がなかったのである。
転落など、味わうことなく過ごせるに越したことはないが、この場合、なんとなく嬉しくはない。
そして世が移り変われば、人心も移り変わる。
「モーレツ社員」として称えられていた企業戦士は、今では「社畜」と蔑まれる。
「24時間戦えますか?」-コンプライアンス委員会でパワハラ認定されるに違いない。
「一億総中流」など、春の夜の夢のごとし、となっている。
こうして時代は流れても、名島橋は変わらずに地域を結ぶ役割を果たし、経済や文化の発展に寄与してきていた。
そして、ワシも変わらず社会の片隅で自分だけの現実を気ままに過ごしてきていた。
移ろい易い世に在って、変わらないことは価値あることである。
しかしワシは、とても残念なドキュメント番組を見たような心持ちで回顧と回想の世界に佇んでいた。
(調べるんやなかった…)
<現実から逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ>
ワシは鹿児島本線の鉄道橋を横目に年代物の橋を渡って行く。
橋の由緒など知る由もなく、自らの人生の歩みを顧みることもない。
何の感慨もなく橋を渡りきり、博多の街へ踏み入って行った。
その足取りは軽く、表情には何の屈託もなかった。
「聞くは気の毒、見るは目の毒」とはよく言ったものである。
お昼にはまだまだ時間があるが、気温はかなり上昇してきていた。
恥ずかしい話であるが、前回と同様に今回も帽子を持って出るのを忘れていた。
正直に言うと、帽子を被るのはあまり好きではなかった。
普段から帽子を被る習慣がなく、外出時の帽子の携行が疎かになってしまっていた。
しかし歩き旅では炎天下を長時間歩き続けることになるのである。帽子の携行がマストと言っても過言ではないであろう。十分に反省をしなければならない。
日射しに晒されていると疲労感も増してくる。沿道にあった公園で少し休憩をとることにした。
公衆トイレで用を足した後、適当な場所に腰を下ろしてミネラルウォーターで喉を潤す。
スマホを取り出して博多駅までの道程を地図アプリで確認する。
博多駅周辺までの道程はそう遠くはない。このまま3号線を進んで行けば、飲食店が開店する時間には博多駅に到達できそうであった。
ワシはあまり外食をしないのであるが、せっかく博多に到着するのであるから、名物の豚骨ラーメンでも食べてみようか、といった考えが一瞬頭を過った。
その刹那である。ラーメンの湯気とアスファルトから沸き立つ陽炎がイメージの中で重なった。食欲は幻のように消えていく。
ワシは残っているミネラルウォーターで頭や顔を濡らして、短い休息にキリをつけた。
都市高速の高架下を歩いて行く。
3号線は相変わらず広くはあったが、沿道のビルやマンションと高速道路の高架で空間が圧縮されていた。
微細な物質を多く含んだ空気が区切られた空間に淀んでいるような感じがした。
そんな空間と熱気で自分を取り巻く空気が重く感じられた。ここまでと変わらない足取りで歩いている積もりであるが、思い通りに身体が進んで行っていない感覚がある。
しかし今は、あれこれ考えて何らかの対処をするような段階ではない。
ゴールはもう近いはずであった。心身共にあと一踏ん張りするだけである。とにかく前へ進む。
空気の動きを阻害しているビルや高架であったが、それらが作る日陰は有難かった。
もやっとする空気の中でも、すんなりと呼吸ができるように感じる。
深呼吸をしたいとは思わなかったが、日陰で一息つきたいような気持ちになった。
そんな頃合いに前方を見ると、白壁の土蔵が目に入ってきた。その奥には煉瓦製と思われる煙突が見えている。
近づくと百年以上続く酒蔵であることが分かった。周囲の風景に溶け込むことなく、自らの空間だけを創業時の空気で包んでいるように見える。
(こんなんを見ると、何かホッとするのぉ)
人は流転する世の中で変化の息吹に翻弄される。
そこでは適応に対する不安やストレスに晒されることになる。しかし、それは世の発展のための代償でもある。難儀であっても、向き合わないわけにはいかない。
そんな世の流れにあって、昔の面影を残すものに出会うと、不意にノスタルジックな世界の扉が開かれる。
ノスタルジックな世界は自らの記憶で創られている。それは過去の良好な体験や感情の記憶である。優しい過去につむがれた世界に触れて、心に安らぎがもたらされるのである。
そこには凪いだ水面に浮かんで、ゆらゆら揺られているような安心感があった。セピア色に褪せた輝きは優しい光となって、水面で揺らめくワシを包んでいた。
ワシはその揺らめきを今しばらく味わっていたかったが、炎天がそれを許してはくれない。火照った身体と汗まみれのウェアを何とかすることが先決である。
ワシの耳に車の走行音が蘇ってきた。
3号線から博多駅方面の通りに入ったポイントが、予定していたものとは違っていたようであった。
ワシは博多駅の筑紫口に到着していた。博多口に到着する予定にしていたのであるが、特に問題となることはない。
平日の昼前であるが、多くの人々が駅構内を行き交っている。
先ずは汗まみれの身体を拭いたいところである。博多口にある駅ビルのデパートを目指す。
この日の気温が何度くらいであったのか、実際のところ分からない。
ただ歩いている間ずっと良いお天気で暑かったので、疲労感は歩いた距離に比例するものではなかった。
短い行程の割に疲れていたが、ゴールに到着してしまえば、それも達成感の一部であった。
デパートの綺麗なトイレで汗を拭うと、心身共にスッキリした。
もうしばらく空調の効いたデパートで過ごしていれば、ウェアも乾いてくるであろう。
色々なテナントの商品を見るともなく見ながら、ゆっくり歩いて回る。
ここに至る道中のことを思えば、極楽のような心地良さであった。そんな幸せを満喫しながら、ワシは今後の旅の交通費のことを考えていた。
JR九州では「旅名人きっぷ」というJR九州独自のお得な乗車券が発売されていた。全国で発売されている「青春18きっぷ」のような条件付きで乗り放題の特別企画乗車券である。
「青春18きっぷ」は発売時期というものがあるが、「旅名人きっぷ」は年間を通じて販売されている。
購入日から3か月有効で1券片につき3回、もしくは3人まで利用できる。1回もしくは1人あたり乗車日当日に限り有効というものである。
10,800円で販売されているので、1回の利用が3,600円以上である場合に元が取れる計算となる。
新幹線や特急列車等を利用できない分、移動時間はかかるが、交通費は確実に抑えることができる。
費用と時間のトレードオフであるが、実質的にどちらを選ぶべきか、場合により考える余地のあるところであろう。
しかしワシは、あれこれと比較検討するのが面倒であった。そこで分かり易い現実、季節とは真逆の懐事情を優先することにした。
今後の旅の予定が立ち次第、購入することを決め、ワシは博多街歩きへ向けてデパートを後にすることにした。
(うわ…こりゃ無理じゃ…)
正午を迎えようとしていた。
デパートの扉を開けて外へ出た途端に襲ってきた熱気は地獄からの使者であるように思えた。
午前中の旅路にあったときのワシであれば、何ということはなかったのかも知れない。しかしデパートの空調で極楽時間を過ごした直後なのである。
極楽から地獄へ向かうのは難しい。
博多街歩きはご褒美であって、修行のための苦行ではない。ご褒美を放棄する分には謗りを受ける謂れはないであろう。
ワシは躊躇なく街歩きを諦めて帰途につくことを決断した。
(お袋に「通りもん」でも買うて帰っちゃろう)
駅の土産物店へ向かうワシの足取りは、宙を舞うように軽やかであった。