九州ツギハギ歩き旅
5.博多(はかた)駅~筑前(ちくぜん)前原(まえばる)駅
通常、繁華街の朝の空気は淀んだ感じがするものである。しかし、博多(はかた)の街にはそのような感覚はなかった。
時たま舞う微風には、香ばしい秋の匂いが微かに混じってきているような気がした。
朝の澄んだ光が広い通りを清々しく見せている。
博多から先の歩き旅は唐津(からつ)、伊万里(いまり)を通って長崎に入るイメージで進めていくことにしていた。そのため、今日の歩き旅からは国道202号線が行程の基本となる。
博多から唐津までの道程は50キロ以上ある。今日は202号線に沿うように通っている筑(ちく)肥(ひ)線のいずれかの駅で区切りをつけて、次回の旅で唐津に到達する積もりであった。
爽やかな朝の空気を縫って、ワシは気分よく国道202号線へ向かって行った。
前回の歩き旅では、ゴール後に計画していた博多街歩きを、暑さに心折られて諦めた。今回、実際に商業ビルが林立する繁華街の通りを歩いていると、色んな路地に入って探検してみたかった、という思いが込み上げてくる。
反面、よしんばタイムマシーンでやり直しができるとしても、ワシならば、必ずまた暑さに敗れ去るとも思われた。
楽しみを逃した後悔、思い至った不甲斐ない自分、それらで醸成された複雑な心境を振り払うように中州(なかす)、天神(てんじん)といった博多の繁華街を抜けて行く。
空の広がりは大して感じられなかったが、通りの歩道は広くて歩きやすかった。沿道の並木はまだ青々としている。
歩き始めてしばらくは飲食店のテナントが目立っていたが、天神(てんじん)のデパート辺りからは何かの専門店と思しきテナントが増えてきていた。
そしてさらに進んで行くと、沿道の主役はマンションに変わっていった。
住宅街を通るけやき並木の歩道には黄緑色の光が注いでいる。そんな歩道をスーツ姿の男女が自転車で行き交う。
都会でこうした光景に出会うと、その空間にいる自分が間違い探しの解答になったような気分になる。しかし、この場違い感が悪いわけではない。これも異なる生活空間の非日常を楽しむことなのである。
田舎では風景を愛で、都会では洒落た雰囲気を味わう。どこにあっても、旅には非日常の刺激が溢れている。
身も心も軽やかに通りを進んで行く。しばらくすると、護国(ごこく)神社の看板と道路の分岐点が見えてきた。
202号線に拘るのであれば、分岐を左に進むべきであった。しかしワシは地図上で今回の旅のシミュレーションを行ったとき、ここを右に進むことに決めていた。
その経路は地域の鉄道駅近辺を通っており、道なりに行けば、そのまま202号線に再合流できるルートだったのである。しかも途中、海岸線の景色を楽しむことも期待できた。
ワシは事前の計画通りに迷うことなく右に進路を取るのであった。
マンションが団地のように立ち並んだ通りを抜けると、通りの沿道は再び商業ビルやオフィスビルに占められた。
薄雲混じりの空の下、通りの気温は大して上がってはいない。
暑さに苛まれることなく通りを進んでいると、看板に描かれた懐かしいアニメキャラクターが目に飛び込んできた。
「サザエさん」である。どうやら、看板前の通りは「サザエさん通り」と名付けられているようであった。
「サザエさん通り」を指し示すその案内看板の表記に目をやる。
漫画「サザエさん」の原作者である長谷川町子さんが通りの先にある海岸で「サザエさん」を発案した、とある。「サザエさん通り」はそのことに由来したもののようであった。
「サザエさん」はワシが子供の頃からテレビ放送されているアニメで、現在も放送が続いている。
小学生のワシは毎週日曜日の夕方に「サザエさん」を見ていたが、正直、今でも心に残っているようなエピソードはない。ただ、「サザエさん」を見ている場の空気感は好きであった。
ワシの家では家業の関係で夕食の時間が一般家庭より早かった。
夕方の5時には家族で食卓を囲み、団らんのひと時を過ごす。そして午後6時半に始まる「サザエさん」を見て、ほんわかとした気分に浸る。
そこは、食後のリラックス感とホームドラマのほんわかとした雰囲気が相まって創り出される幸せな空間であった。
エピソードが流れる間、ワシはささやかな幸福感に包まれていた。
そしてエピソードが終わり、翌週のエピソード予告も終わると、テレビからはエンディングテーマが流れてくる。そのメロディーに乗って寄せてくるのが、サザエさん症候群であった。
もうすぐお休みが終わり、明日は学校に行かなければならない。動かし難い現実がワシの心にのしかかる。
学校が嫌いなわけではなかった。しかしカリキュラムに縛られて自由に遊べないという事実が、ワシを憂鬱にさせる。
仮病を使って休んだところで、家族が監視しているのでは何の解決にもなっていない。途方に暮れたまま、ワシの日曜の夜は更けていくのが常であった。
当時の学校は土曜日が半ドンで全休は日曜日だけであった。一日半の自由では遊び足りるはずがないのである。週休二日の今の子供たちが羨ましく思える。
ただ、夏休みにあった登校日の前夜を思い起こすと、ワシの場合、月曜日以外が全てお休みであっても、サザエさん症候群はやって来たと思われる。現在の週休二日制を羨んだり、当時の少ない休日を詰ったりする資格はない。
「サザエさん通り」を前に「サザエさん」の本筋から残念な形で逸れた回想に浸る。そんなワシこそが詰られるべきであった。
波平に𠮟られたカツオのような気分になったワシは、静かにその場を後にした。
マンションと一軒家が入り混じった住宅街を抜けると、松林に囲まれた通りに入った。
左右に整列した松並木の間に真っ直ぐな通りが伸びている。
生い茂った松林総体の醸し出す重厚感を木漏れ日が和らげていた。
こんな場所を歩いていると散歩をしているような気分になってくる。自然と足取りが緩む。
思いがけず現れた松林通りの散策を楽しむように、松林のあちこちに目をやりながら歩き進めて行った。
因みに後日調べたところによると、ここは「生(いき)の松原」という由緒ある伝説や史跡が残されている場所であった。
そのようなことは露知らず、能天気に松林の通りを進んでいると、木々の間に海が顔を覗かせてきた。
松林が途切れると、その奥に隠れていた砂浜が現れた。
湾に広がる海と晴れてきた空を眺めながら海岸の通りを歩いて行く。
さざ波が揺れる海面は、光の当たり方によって空色や瑠璃色に表情を変える。
遠くに見える対岸の建物は薄雲の下で、ぼんやりと佇んでいる。
ワシの眼前に広がる青空には、絹雲の衣が巨人の燻らせた紫煙のように、ふんわりと延びてきていた。
白砂青松と波の音がワシを物見遊山の世界へ誘う。
歩くことに集中して九州を一周するという歩き旅の流儀は離岸流に流されてしまったかのようである。
守られるべき原則にちょいちょい例外を挟み込む。そして何処かで何らかのしわ寄せがやって来る。
気まぐれなワシにはお馴染みの悪循環である。本来ならば、改心すべきところであろう。
しかし原則を台無しにしない程度の気まぐれであれば、後にやって来る運命のいたずらも「楽あれば苦あり」といった程度のものと思われる。
(楽しみのクレジット決済みたいなもんじゃ)
<この人、きっとダメな人だ…>
それならば、気の向くままに楽しみ、後は神様の差配に身を任せるというのも悪いとばかりは言えないであろう。
「苦」のフェイズでは必ず自分を呪うワシであるが、過ぎ去ってみれば、それもまたかけがえのない旅の一ページである。
ワシは旅情に身を委ねた。
その魂は景色に揺られ、海岸沿いを走る電車の走行音にも揺られていた。
こうしてワシの呆けたような時間は、海岸線の通りが終わるまで心地よく続くのであった。
ワシは通りの先に見えた大きな看板に目を惹かれた。
「チロリアン」と書かれている。ワシが子供の頃に食べたことのある洋菓子の商品名である。
それはロール状に巻いたクッキーの空洞部にクリームが詰め込まれている洋菓子であった。
当時、スーパー等で市販されていた記憶はなく、いつでも口にできるようなものではなかった。
たまに食べる「チロリアン」は本当に美味しかった。
サクッとしたロールクッキーの食感を追いかけるように甘くて滑らかなトロリとしたクリームが口に広がる。
咀嚼がクッキーとクリームの食感と甘みを融合させる。
食道へ去って行くクッキークリームとの別れが名残惜しかった。
そしてまた次の「チロリアン」を口に放り込む。
こうして与えられた「チロリアン」は、あっと言う間になくなったものであった。
商品自体だけでなく、それを宣伝するローカルCMもよく覚えている。
「ウィーンの森少年合唱団」の少年たちが森で日本語のCMソングを合唱するのであるが、そのメロディーと少年たちの美しい歌声は今でもハッキリと思い出せる。
西洋の少年たちの美しい合唱が流麗なメロディーに乗って森に流れる。
風貌も美しい少年たちが手を振りながら笑顔を振りまく。
いかにも美しき世界であった。
しかし、ワシには少々お寒い世界観であった。昭和に散見された「西洋=高級」のイメージを利用したあざとい演出としか思えなかったからである。
こうして「チロリアン」はその美味しさで、CMはその残念な世界観でワシの記憶に刻まれたのであった。
こうした思い出深い「チロリアン」であったが、ワシにはこの日までそれを販売している店舗を目にする機会がなかった。
「チロリアン」の看板の先にある店舗は白壁の土蔵を改装したような店構えであった。それは和洋のテイストが入り混じって、いくぶんメルヘンチックな雰囲気をまとっている。
後日、「チロリアン」がオーストリアの伝統菓子をモデルにして考案されたということを知ったとき、この店舗の様子と誤解していたCMの世界観が腑に落ちた気がするのであるが、このときは知る由もないことであった。
ワシは初めて見る店舗を前に、子供の頃の色褪せた思い出が店舗の雰囲気に彩りを添えられて、改めて輝きを取り戻したように感じていた。
歩き旅の道中で拾った懐かしの初対面をポケットに仕舞い込み、ワシは青信号になった横断歩道に足を踏み出した。
住宅街に伸びる国道の通りは、直線的で見通しが良かった。
沿道には住宅、マンションの他、様々な店舗や病院、郵便局等の生活利便施設が立ち並ぶ。
生活感の漂う通りを歩いていると、何となくホッとする。
自分と同じような日常生活を送っていると思われる人々の気配が安心感を生むのであろう。
社会性を好む人間の本能的な傾向なのかも知れない。
ただ社会性を好むといっても、ワシの場合、それは付かず離れず程度の社会性であった。どっぷりと群れに浸かるのは嫌である。
ワシは自分のペースを乱されることが苦手である。いつもマイペースで生きていたい。しかし群れの真っただ中にいると、招かれざる客に振り回されるリスクが高まるのである。
そこではワシのささやかな希望など、無邪気に蹂躙されてしまうであろう。
ワシは孤高の人や一匹狼ではないので、周囲の干渉を物ともしない、強いメンタルなど持ち合わせてはいないのである。だからワシと群れとの間には適度な距離が必要となる。
基本、みんなのことは放っておくので、ワシのことも放っておいてね-遠い昔にワシが決めた揺るぎない処世のモットーであった。
相当数の人は群れの中で人間関係を構築して豊かな人生を切り開くものと思われる。そうして自らの社会的基盤を安定させ、社会的な成功を勝ち取っていく。
しかしワシは人間関係の面倒事で疲れるのは御免であった。
マイペースで日々平穏が第一なのである。
こうしてワシの社会的成功の可能性は、浅田美代子の「赤い風船」のように何処か遠い空でしぼんでしまったものと思われる。しかし、負け組上等、我が生きる道に全く悔いはない。
歩きながら、自らの残念な人生を熱く正当化するワシの前にコンビニの看板が見えてきた。
そのコンビニは、ワシのお気に入り商品である「イチゴの白くまアイス」を販売している。しかしお昼休憩にはまだ早い時間である。
(…少し頭を冷やすか…)
氷菓子で冷えるのは頭ではなくお腹なのであるが、そのようなことはお構いなしにコンビニへ足を向ける。
歩くことに集中して九州を一周するのが「ツギハギ歩き旅」である。おやつの時間などないはずである。
しかし旅情に身を委ね、次いで「チロリアン」の思い出に耽ったばかりなのである。緩みきった空気に包まれたワシの前では、そのような道理は無力であった。
道筋の小学校からは子供達の声が聴こえてこなかった。まだ授業中なのであろう。
お昼が近づいていたが、気温の上昇はワシの歩行に影響を及ぼす程のものではない。
歩道は狭いが、人通りが多いわけではないので、歩きに支障はなかった。
ワシを取り巻く環境に問題はなかったが、ここに来てワシを動かす身体に問題が生じていた。
胃の辺りに不快感が生じるようになったのである。
最初は小さな違和感程度のものであったので、気にも留めずに歩くペースを落とすことなく進んでいた。しかし歩き進むうちに違和感は気になる不快感となり、軽い吐き気まで伴うようになっていった。
身体のどんなメカニズムがそれを引き起こしているのかは分からない。しかし何が身体に影響したのかについては確信的な心当たりがあった。
言うまでもない。犯人は「白くまアイス」である。否、身体に影響したのは白くま君であるが、犯人ではない。白くま君はワシのお腹に運ばれただけであった。運んだワシが犯人である。
欲望のまま中途半端な時間帯におやつタイムを設け、空き腹に甘くて冷たい氷菓子をぶち込んだのである。内臓がワシにクレームを入れるのも致し方のないことであろう。
歩いているうちに自然に回復していくと思われたが、今そこにある吐き気にワシのおサボり根性が頭をもたげてきていた。
(今回の旅はこれくらいにしとったろうか…)
<おい…>
改悛しようとするどころか、身から出た錆を利用して楽をしようというのである。己のことながら呆れる他ない。
ただ博多(はかた)駅から唐津(からつ)駅までの行程は当初から2回に分けて繋げる予定であった。
そして、そこから大して遠くない場所には筑前(ちくぜん)前原(まえばる)駅がある。
そこであれば、博多・唐津間の行程の半分には及ばないが、次回の旅で唐津駅に十分到達可能な場所であった。
易きに流れるときのワシの決断は淀みなかった。
筑前前原駅の長めの階段を上る頃には、体調は回復傾向であった。
時間もまだ早い。ゴールの駅を先へ延ばすことも十分に可能である。
少しでも先へ進んでおけば、次回の旅が楽になる。しかし一度途切れたモチベーションの糸はそうそう繋がるものではない。いわんやワシの糸をや、である。
電車待ちのホームで空を見上げる。
昼下がりの青空に赤い風船の弾け散る光景がワシにはハッキリと見えた。
(来世では頑張り屋さんになります…)
<この人、ホントにダメな人だ…>
ワシが何故、社会的な成功を手中にできなかったのか、いみじくも物語る今日の旅路であった。