九州ツギハギ歩き旅日記・長崎編7

九州ツギハギ歩き旅

九州ツギハギ歩き旅

7.唐津(からつ)駅~伊万里(いまり)駅

駅前の街路樹もすっかり装いを変えていた。その暖色系の色彩とは裏腹に空気はややひんやりとしている。

通りを照らす陽光はクリアガラスのように澄んでいた。

秋晴れの駅前通りを気分よく進んで行く。

ワシは長袖のアンダーウェアの上に半袖のスポーツウェアを重ね着し、それらをウインドブレーカーで包むといった服装で歩き始めていた。

身体が温まり次第、ウインドブレーカーは脱ぐつもりである。

今朝は始発電車で旅立ったのであるが、唐津(からつ)までの電車移動には4時間程度を要する。唐津駅を出る頃には10時を回っていた。

今日のゴールは伊万里(いまり)駅に設定している。

唐津駅から伊万里駅までは20キロ超の行程である。相当程度のスピードで歩き続けても、3時間半前後はかかる。

そして13時半前後にゴールした後には、4時間を優に超える電車移動の帰路が待っている。

計算通りに事が運んでも、帰宅は宵の口になると思われた。

 

(明日は仕事やし、あんま遅うなりとうないのぉ…)

 

こうした事情を考えると、今回の歩き旅は、いつもに増して歩くことに集中しなくてはならない。事前に確認しておいた経路の幹線道路を、ただひたすらに歩き進める積もりであった。

開けた駅前の大通りを脇目も振らずに歩いて行く。

頬を撫でる空気のひんやり感が心地良い。

季節に背中を押されながら、ワシは唐津の市街地を通り抜けて行った。

 

 

前方の晴れ渡る空を追うように国道204号線を進んで行く。

気温はさほど高くはないが、ウインドブレーカーは既にザックに収納されている。

沿道には大型のロードサイド店舗が目に付く。開店時間を迎えていると思われる店舗がいくつかあったが、客足はまだ鈍いようであった。

これまでもそうであったが、市街地から離れた幹線道路沿いの通りでは、擦れ違う人がほとんどいない。

車はそれなりに行き交っているし、通り沿いに店舗や住宅もある。一帯に人の気配が感じられないわけではない。

今は朝の気配がお昼の気配に塗り替えられていく時間帯でもある。通りを歩く地域住民がいてもおかしくはない。それにも関わらず、通りはワシの独占状態であった。

他人との触れ合いを求めた旅ではないのであるから、それはそれでいい。ただ、こういった通りの風景はどこも似通っているので、その趣に少し飽きを感じつつあった。

歩くことに集中できて良さそうなものであるが、飽きは気怠い雰囲気を醸し出す。そうしたものに包まれていると、身体の動きが重くなる気がするのである。

 

(なんかつまらん…)

 

<真摯に歩けば良いのです。つまらなくてよろしい>

道行く見知らぬ人の姿も、非日常の風景を構成する要素の一つである。たまには登場して、ワシの旅の風景を賑わせて欲しいものである。

 

(何かないかなぁ…ちんどん屋が通るんでもええわ…)

 

<ちんどん屋さんに謝れ>

しばらく手前勝手な要望を語って無聊を慰めながら、ワシは漠然とした心持ちのまま目の前の行程を消化していった。

 

左手の景色が開けて、川の流れが見えてきた。風の足跡がキラキラと揺れている。川面を渡って来た空気が心地良い。

通りと川の間にはJRの唐津(からつ)線が真っ直ぐに延びていた。走行する電車の姿はなかったが、線路のある風景を目にすると、自然と旅情が湧いてくる。

 

(電車から見るここの風景には、また違った味わいがあるんやろなぁ)

 

目の前を流れる風景の情緒が変わり、心持ちも、足取りも軽くなる。

お昼へ向かっていく陽の輝きが増してきていた。

明るく開けた風景に身体ごと溶け込もうとするかのように、脚をどんどん進めて行く。否、脚がどんどん進んで行った。

 

(この調子なら、思ったより早くゴールできるかもやな)

 

<現金なお方だ>

国道は、いつの間にか202号線になっていた。行程計画の地図確認で204号線が202号線へ移行することは分かっていた。旅は順調に進んでいるようである。

通りは沿道の風景に住宅や田園を散りばめながら、ワシを伊万里(いまり)方面へ導いていった。

ウェアがいくらか湿る程度に汗をかいていたが、10月下旬の空気は心地よかった。

気象条件に加えて、体調もいいのであろう。歩き進むペースは歩き始めのそれを上回っているような感覚があった。

ここまでの歩き旅にはワシのヘタレぶりが、隠しようもないほどに滲み出ていたが、そんな道中でも、自身の体力作りにはなっていたのかも知れない。

 

(今日は自分を褒めてあげられる旅にできるとええがなぁ)

 

(まあ、こんなん考えよると、だいたい何かのケチがつくんよね…ワシの場合…)

 

とはいえ、この時点では旅も身体も順調である。それが現実なのである。ここまでの経験則で気持ちを後ろ向きにする必要などない。

広がる空の少し淡い青味が、遠くまで延びている。伊万里へ向かうワシの旅路は、とても晴れやかであった。

 

 

車道が片側一車線になってからは、通りの歩道は狭くなっていた。

遠景にある小高い丘とも言えそうな山々が、通りの空間を取り囲んでいる。それにも関わらず、空の広がりが風景を奥深いものにしている。

沿道には田園風景が断続的に広がる。その合間にある民家や事業所は、古くからずっとそこにある、といった体裁であった。

時折、遠くに人影を認めることがあったが、相変わらず、人と擦れ違うことはなかった。

穏やかな田舎町の通りをワシは快調に進んで行く。飛ばして歩いて来た割には、それほどの疲労感はない。

ワシが歩き旅を始めて二月(ふたつき)と少しになる。季節も変わった。

 

(ようこんなとこまで来たもんじゃ…)

(今日で伊万里かぁ…伊万里…ちょっと懐かしい気がするの…)

 

ワシは伊万里が陶磁器で有名なところであることは知っているが、実際にそこへ行ったことがあるわけではない。

ワシがその地名に懐かしさを覚えたのは、そこに祖父の逸話があったからである。

 

祖父は敗戦後に家族を連れて満州(まんしゅう)から日本へ引き揚げて来た。引揚げでは家族共々、辛酸をなめたようである。

満州に移住し、文字通りの修羅場をくぐり抜けて祖国に帰還し、日本に家族の生活基盤を再建したような人である。今思えば、とても豪胆な人間であったと思われる。

因みに、ワシはそのような祖父と小学校5年の春まで生活を共にしていた。その血も引いている。しかし、その豪胆な気質は受け継がなかったようである。

一人の男としては残念なこととも思われるが、修羅場とかは嫌なので、それはそれで良かったことにする。

 

(波乱万丈より日々平穏である)

 

<分かるが、もう少しどうにかならないか…>

祖父には陶磁器の収集という趣味があった。

伊万里で陶器市があると、知り合いと連れ立ってその陶器市に足を運んでいたようであった。

陶器市ではその販売所で窯元の人と値段交渉をしながら、折り合いのついたものを購入する。

こうした売り買いのやり方が今でも行われているのか、定かではない。しかし、祖父が元気だった昭和の時代なら、さもありなんと思われる。

同行した知り合いの人によると、そこでの祖父の値段交渉の様子が呆れるほど面白かったらしいのである。

値段交渉のやり方の一つとして、端数の切り捨ての交渉ということがある。

例えば、商品の値段が15,500円だったとする。この場合、通常、500円の値引き交渉が行われる。

 

「のぉ、その端の数字、切れえや…キリのええようにしてくれたら、買おういや」

「いやぁ…お上手ですねぇ…じゃあ、15,000円にしましょう」

「そりゃ、嬉しいのぉ…ええ人でえかった。せっかくじゃ、ついでにもう片方も切れえや」

「は…」

「1も切ったら、ほんにスッキリしようがや…他も買うけえ」

「…」

 

値段交渉と言うより、フレンドリーな言いがかりである。

他人事として傍から見ている分には面白かったのかも知れないが、窯元の人は弱ったことであったろう。

この交渉結果については聞かなかったが、この際、孫の身びいきは置いておくことにして、交渉が不成立であったことを願うばかりである。

 

比較的開けた集落を抜けると、木々に囲まれた通りに入った。

鬱蒼とした森のこんもりとした緑が眩し気に日差しを受けている。

青空の下、山と川に田園、そして時が止まったような集落といった風景がデジャヴのように感じられる。

トンネルを抜けて坂道をいくらか下って行った先には「伊万里(いまり)市」の表示板があった。市を跨いでも風景のバトンリレーはつながっている。

アップダウンのある道筋をしばらく進んで行くと、開けた田舎町に出た。

 

(どこまでも、のどかじゃのぉ)

 

それにしても、芸がない感想である。

一般に晴れ渡った田舎町であれば、どこもかしこも「のどか」の一言でその風景を要約してしまうきらいがある。

確かに陳腐かも知れない。しかし比較的に考えると、ワシにもその表現の方が他よりしっくりくる。

 

(なので、田舎町は「のどか」でええやろ)

 

のどかな光景が心持ちを穏やかにする。ただ今日は、翌日の都合もあって急ぎ旅である。その雰囲気で動きまで緩めるわけにはいかない。

速めの歩調を保ちながら、通りを進んで行った。

 

 

お昼を過ぎて、気温は相応に上がってきている。

道筋にあった道の駅も完スルーで、休むことなく歩き進んで来ていた。

速めのペースを維持したままの道行きで、いくぶんではあるが、疲労と体温の上昇を感じるようになっていた。

そんな折、峠に差し掛かると、いわくつきのコンビニが見えてきた。前回の旅で好物の氷菓を昼食代わりに食べた、あのコンビニである。

思い出にはペーソスが漂う。振り返って、嬉しくなるような話ではない。

伊万里駅まで大した距離が残っているわけでもない。先を急ぐ旅でもある。このままスルーしてゴールを目指すということも、無理筋というわけではない。

 

(でもなぁ…)

 

身体の現状と頃合いを考えると、寄っておきたいところである。それほどお腹がすいているわけではないが、水分補給くらいはしておきたい。

 

(アイスさえ食べんかったら、ええんやろ…)

 

哀しい思い出を振り払うように心の中でつぶやいた。

アイスの禁止…遠足のしおりレベルの注意事項である。そのレベルの自制心すら危うい自分にがっかりせざるを得ない。

しかし、現実は真摯に受け止めなければならない。

今回のコンビニでの休憩は水分補給のみを目的とする。そして他のお楽しみを厳に慎むことにより、残念な思い出の上書きも行うのである。

 

(白くまアイスに手は出さん)

 

小学生レベルの決意を胸に、ワシはコンビニの入口へ向かうのであった。

 

山道を下りながら、こう考えた。

智に働けば、腹が立つ。欲に掉させば、流される。意地を通せば、ストレスだ。とかくワシは扱いにくい。

 

(本当にバカなんじゃなかろうか…)

 

<うん>

あらゆる悪態が妥当しそうではあるが、とりあえず今は、簡単で代表的な表現のみに留めておくことにした。

 

コンビニに入ったワシは、旅からの帰宅時間が宵の口以降になることを思い出した。

 

(やっぱりなんか食べておかんと、帰りに腹減るやろうな…)

 

しかしワシは、歩いているときには食事を摂らないことが多かった。運動は食欲を抑えるとも言われている。何も食べずとも、困ることはなかった。

店の冷蔵庫から取り出したペットボトル飲料を手に、陳列されているオニギリ、サンドイッチの方に目をやる。

食指は動かない。

目の端にアイスケースが引っ掛かる。数分前の決意表明も引っ掛かった。

 

(君は大人だよね…)

 

<だよね>

何故か標準語で釘を刺す。

動揺がワシを独白の舞台へ駆け上らせる。

ワシはアイスが好きである。

しかしワシはここまでの旅路で、アイス絡みで何らかの失敗を重ねてきた。従って、アイスに関して幾ばくかの自重が求められるのも仕方がないところである。

腹立たしくとも、そこは忍従しなくてはならない。

しかしワシはやはりアイスが好きなのである。

そして、ワシに失敗をもたらしたアイスは「白くまアイス」のみであり、他のアイスは無実なのである。そうであるならば、自重を促されるべき対象は「白くまアイス」だけで十分なのであって、それを超える制限をする必要はないであろう。

他のアイスにも失礼である。

それでもなお大事を取って必要以上の制限を設けることにすると、気持ちに影響が出ることは間違いない。

それがモチベーションの低下につながるならば、物事が上手く運ばなくなってしまう。

 

(ちゅうことで、白くまアイス以外なら、良しとしよう)

 

<ドアホ>

あのコンビニで、ワシは「白くまアイス」には手を出さなかった。代わりにブドウの「アイスの実」を食べた。

身体を冷ましつつ、固形物を口にしておくためである。

ここに至っては、何をかいわんや、である。

コンビニを後にしたワシは山道を下って行く。

そのワシと擦れ違うように、背徳感が上って行った。

我田引水、ガッデムインチキ…あんな詭弁がまかり通っていいはずはない。

 

(ゴールまであとちょっと。何事もありませんように…)

 

<天罰が下りますように…>

今日は自分を褒めてあげられる旅にできるとええがなぁ…朝の旅路がとても遠くに感じられた。

 

 

片側二車線となり、車道も歩道も広がった。市街地が近づいてきているように思われる。程なく伊万里(いまり)駅に到着することができよう。

 

(ちょっとオイタをしてしもうたけど、何とか無事にゴールできそうじゃ)

 

<お天道様に叱られろ>

自分に行方不明の克己心と見失った羞恥心の捜索願を突き付けるべきとも思われる。しかし前回の旅を含め、ワシはこうした捜索願を何度となく受理してきた。

それらは全て迷宮入りが危惧されている。

つまりワシは、反省は得意であるが、学習は苦手ということのようであった。

齢半世紀が近づいている者の自己分析結果がこれである。ここまで無難に生きてこられたのは奇跡としか思えない。

とりあえず、神仏、ご先祖様に感謝しておくことにする。

 

(周回遅れですが、いい大人になります…今日のところはご勘弁ください)

 

<誰が信じるか>

道路標示に従って、国道から伊万里駅へ通じる通りに入る。広くて開けた通りが真っ直ぐに伸びていた。

駅前通りにしては背の高い建物が少ない。空が広かった。

沿道の並木の間隔も広めにとってあるので、通りには開放感がある。

降り注いでいる午後の日差しが、路面で弾けて辺り一帯の空間に飛び散っている。

まばゆい空間がワシの到着を祝福してくれているようであった。

通りを挟んだ左右の建物をつないでいる高架が見えてきた。近づいてみると、そこには「伊万里駅」と書かれている。

無事にゴール到着である。

13時半をいくらか過ぎたところであった。当初に思い描いた通りの時間で歩き切れたことになる。

 

(さあ、遅うならんように帰らんにゃあいけん)

 

高架がつないでいる左右の建物はどちらも駅舎であった。一方がJR、他方が松浦鉄道の駅舎となっていた。

JRの駅舎で時刻表を確認する。唐津(からつ)方面の電車は今しがた出たばかりであった。

歩き旅は順調に終えているのである。この程度の間の悪さはご愛敬といった程度のことである。次の便を確認する。

 

(んっと…14時…ない…15時…16時…3時間待ちやんけ)

 

天罰の二文字が脳裏をよぎる。

否、そんなことはない。数時間待ちなど、ローカル線では想定内と言えることである。しかもそれは、あらかじめ決まっていた鉄道のダイヤなのである。

3時間待ちは少々酷い気もするが、ワシのためにそんなダイヤ変更があったわけではない。それを天罰と呼ぶのなら、伊万里駅を利用する地域住民は、日々天罰を受け続けていることになろう。

ワシを罰するために、天がそのように無体な罠を伊万里の地に予め仕掛けておくことなど有り得ない。

ただ、もう5分でも早くゴールしていたら、今頃は筑(ちく)肥(ひ)線に乗って帰途に就いていたはずなのである。その日に歩いた場所を電車に揺られながら眺めることもできたであろう。

 

(アイスの実を食べんかったら…)

 

アイスを食べたことがコンビニでの休憩時間に影響を与えたとは思わない。ただ、心の引け目が天罰感を払拭させてくれない。

ワシは、絶妙なタイミングで電車に乗り損ねた。そして今、忸怩たる思いに包まれながら、時刻表を見つめている。これを教育的天罰と考えられないこともない。

 

(捜索願が天に届いたんかも知れん…)

 

(今度はちゃんと学習します)

 

<信じられません>

とりあえず切り替えるしかない。クヨクヨしていても何も変わらない。このまま座して3時間待ちを受け入れたくもなかった。

 

(松浦鉄道の方でなんとかならんか…)

 

乗換案内アプリを開いて善後策を探る。有田(ありた)駅経由で帰ることができるようである。

伊万里駅での待ち時間が約1時間、そして遠回りとなる経路であったが、3時間待ちのJR筑肥線よりは断然早く帰ることができる。

 

(旅名人切符やから、乗車賃は変わらんし)

 

(とりあえず、駅の周りでも散歩しとこかの)

 

松浦鉄道の改札口を確認し、ワシは一先ず駅舎を後にした。

 

 

松浦鉄道は単線の鉄道であった。フロントガラスの向こうに伸びる線路がすらっとしている。

沿線の風景が、一両編成の電車を包んでは流れてゆく。

車両の揺れも、走行音も心なしか緩やかに感じられた。

今朝は約4時間を電車移動に費やした。

帰路は電車待ち時間を含めて約6時間の移動となりそうである。

そして歩き旅の行程を実際に歩いたのは3時間半程度であった。歩きに使える時間がかなり限られてきている。

 

(そろそろ日帰りは限界かの…)

 

この先は泊りの歩き旅を視野に入れて行程を考えなければならない。

伊万里から先は平戸(ひらど)を経由して長崎駅へ向かうことを予定していた。

日帰り旅で行けるところまで行って、泊りの旅では九州の西側を縦断することを考えていた。少々無理をしてでも、一気に長崎駅までの道程をつなぐ積もりでいる。

 

(伊万里からじゃ、さすがに遠すぎるかのぉ…)

 

平戸から長崎駅までは100キロ近い行程になると思われた。

何泊もして旅をする余裕はない。縦断にかけられる日程は二日になる可能性が高かった。

泊り旅のスタート駅がどこになるか分からないが、一回の行程は少なくとも50キロ超となることを覚悟しておかなくてはならない。

ここまで一度の日帰り旅で歩いた距離は長くても30キロ超程度であった。ツギハギ歩き旅前にも何度となく経験していた距離である。

そしてワシは、これまで一度に50キロを超える距離を歩いたことはない。「ツギハギ歩き旅」最初の難関になるであろう、と思われた。

 

(日帰りをもう一回しようか…平戸までの行程をできるだけ減らしとかんと…どうしょうかのぉ)

 

初めての泊りの歩き旅、そこに待っている未知への挑戦、ワクワク感と緊張感で胸がざわつく。

見るともなしに見ている車窓の風景は、午後の日差しに照らされて、穏やかに揺れていた。

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